狂気の歴史 - 古典主義時代における

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  • サイズ B6判/ページ数 616,/高さ 20cm
  • 商品コード 9784105067021
  • NDC分類 493.7
  • Cコード C0047

出版社内容情報

狂気はネガティブな存在として社会から逸脱してきた。膨大細密な例証をもとに狂気の発掘を試み、西洋文化の本質として復権を要求するフーコー思想の根幹をなす名著。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

夜間飛行

104
ブラントやボッシュが風刺をこめて描いた阿呆船は狂気による世界発見の喩えに思えたし、また、古典主義時代に狂人を動物と見なして監禁したのが「最後の審判」への恐れだとしたら、狂気こそ人間性の核ではなかろうか。監禁・晒し者にされた「彼ら」に科学の光をあて、人間界へ連れ戻したのは近代医学だが、狂気そのものは決して救われなかった。そこでは視線と道徳が、狂気を社会の網の目に組み込んでいったのである。狂気は決して人ごとではないはずだ。終末観や死生観にも深く関わる狂気というものを、自分自身の問題として考え続けたいと思う。2013/10/31

きいち

29
二段組六百頁、『言葉と物』の何倍もしんどかったぁ。◇特に中盤、狂人たちに加えられる謎の治療やら恣意的にしか見えない監禁のされ方やら、もう絶対この時代のヨーロッパに住むなんて無理、という事実の数々。頭がやられる。「解体新書」で西洋は今と同じ実証的な医療がデカルト以来まっすぐ発展してきたと思ってしまうが、全く違う。◇それは向こうの人にとっても同様、いや、自分たちが頭の中で勝手に歴史を書き換えてきたことに向き合うのは、ずっと衝撃的だろう。◇心理学の誕生、狂気がネガとなり浮き上がる人間の概念、なるほど、原点だわ。2014/10/14

梟木(きょうぼく)

14
「精神の病としての狂気」という現代の狂気理解も、けして自明なものではない。狂気はかつて「理性」の抑圧からの解放手段として真面目に演じられていたのであり(シェイクスピア、セルバンテス)、それ自体が「非理性」として抑圧=監禁の措置を受けるようになったのは、合理主義思想が西欧に遍く浸透し、狂人の収監施設が各地に整った革命の世紀以降のことだ。そして、もはや「動物性」の謂いとなり果てた「大いなる監禁」の世紀(19世紀)の後に、フロイトが監禁=抑圧されたそれを「発見」し、精神医学の分野の発展のために利用しようとする。2013/02/16

ラウリスタ~

13
いやあ、長かった。二段600とかありえない。初期フーコーの主著ということで読まないといけない本だったわけだが、結局のところ、この本はどう評価すべきなのだろうか。比較的寛容に遇されてきた狂気というものが、17世紀を境に監禁の対象となっていく、狂気が植物学的に分類整理される様や、あまりにも非科学的な治療の様子などが面白いだろう。ただいかんせん、脈絡なく(一見そう思えてしまう)延々と続き、現代日本人からするとあまりに衒学的な文章は、難しいものではないのだが、ただただ長い。2015/01/03

またの名

10
原書の初版が61年ということだから、理論的な枠組みがまだそれほど洗練されてはいない感じを受ける(言説・言表などのタームもほとんど出てこない)。そんな若き日のフーコーがなぜ狂気という西洋理性の他者に特別関心を寄せたのか、ポストモダンの相対主義と社会的実践とのパラドクス(人間は消えると言っておきながら監獄の解放を煽動する)とともに大いなる謎。普通に読めば、狂気のカテゴリーが時代に左右されることを探究した相対主義ともとられかねない。テーマが派手な割に他の著作よりもかえって錯綜していて、容易に読み解けない難物。2013/05/03

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