黒部の太陽―ミフネと裕次郎

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  • サイズ B6判/ページ数 333p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784104746019
  • NDC分類 778.4
  • Cコード C0074

内容説明

昭和43年公開『黒部の太陽』(製作・主演/三船敏郎・石原裕次郎、監督/熊井啓)は、観客動員733万人、興収16億円(現在の80億円相当)の大ヒットとなった前代未聞の超大作映画である。しかし、完成・公開に至るまでには、想像を絶する苦難の日々があった。五社協定の壁、配給問題、資金調達、裕次郎が骨折した大出水シーンの撮影…。それでも男たちは、ひたすら突き進む。その後、裕次郎の「大画面でのみ、お客様に観ていただきたい」との要望で、再上映もDVD化もされていない。あれから38年。監督だからこそ知りうる秘話を満載し、何かに熱くなることだけがすべてだった“あの時代”が、いま、鮮烈によみがえる。

目次

意外な監督依頼
五社協定の壁
監督を熊井啓に
黒部川電源開発史
「黒四」建設
私の要望
登場人物について
井手雅人氏のこと
トンネルを地上につくる
シナリオを書きはじめる〔ほか〕

著者等紹介

熊井啓[クマイケイ]
映画監督・脚本家。1930年、長野県生れ。’49年、旧制松本高校修了。’53年、信州大学文理学部卒業後、’54年、日活撮影所に入所。『霧笛が俺を呼んでいる』(’60)、『銀座の恋の物語』(’62)などの脚本を執筆。’64年、第一回監督作品『帝銀事件・死刑囚』を発表。以後、『日本列島』(’65)、『地の群れ』(’70)、『謀殺・下山事件』(’81)、『海と毒薬』(’86)、『日本の黒い夏 冤罪』(’00)などの社会派問題作をはじめ、『忍ぶ川』(’72)、『サンダカン八番娼館・望郷』(’74)、『天平の甍』(’80)、『千利休 本覚坊遺文』(’89)、『ひかりごけ』(’92)、『深い河』(’95)、『愛する』(’97)、『海は見ていた』(’02)などの文芸作品まで、幅広い作品を発表。監督作品数は現在までに19本を数え、そのほとんどが内外で多くの賞を受賞している。’95年、紫綬褒章受賞
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

MASA123

11
「黒部の太陽」は小学校時代、級友が見てきて感動したらしくて、自分もずっと見たかった映画だ。20代のころに、やっとチャンスが巡って映画館で完全版を見た。よかった。苦心惨憺のあとトンネルが貫通し熊谷組と間組が出会う場面は、感動もの。大勢の人があつまり、神主がお払いし、大きな酒樽が割られ酒をのみかわす(泣ける)。 映画館で観てからも、もう一度見たかったが、DVD発売も上映もない。何年か前に、BS放送で流れたようだが見逃した。・・・本書には、シナリオが掲載されていた、読むと、映画で見た場面が蘇る! 2023/07/20

takao

3
ふむ2024/02/18

真弓Trick

0
近年は復活上映やDVD化の機会に恵まれている映画『黒部の太陽』について、監督の目線を通じて、当時の映画業界を垣間見られる著作だった。配給・上映にこぎつけるまでの幾多の困難を"破砕帯"と喩えているのは、言い得て妙だった。三船敏郎氏と石原裕次郎氏の意気込みと気骨が、その行動や発言から伝わってくるのがいい。2014/01/29

まさやん80

0
「黒部の太陽」は名前は知れどもなかなか見ることができない名作である。熊井啓監督は、その完全版を何とか公開したくて、この本を出したとのこと。五社協定の壁、とてつもないスケールのトンネルセットと今では不可能な危険な撮影、熊井啓監督も鬼籍に入った今となっては貴重な記録だ。完全版をぜひ公開してほしい。2012/12/31

yos

0
日記のように日付に沿う形で、黒部の太陽を作り出す過程での苦労が記されている。よくぞこの映画を後世に残したと、喝采を送りたい。前半の映画作りがおもうように進まないもどかしさに比べ、映画を撮り始めてからのエピソードの方が生き生きとして面白い。圧巻は、各界の著名人ならびに関係者による映画批評。現在ではこの映画を見ることが、ほとんどかなわないのが非常に残念である。もう一度、誰もがこの映画を見られるようになることを、切に願う。2006/02/16

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