内容説明
昭和43年公開『黒部の太陽』(製作・主演/三船敏郎・石原裕次郎、監督/熊井啓)は、観客動員733万人、興収16億円(現在の80億円相当)の大ヒットとなった前代未聞の超大作映画である。しかし、完成・公開に至るまでには、想像を絶する苦難の日々があった。五社協定の壁、配給問題、資金調達、裕次郎が骨折した大出水シーンの撮影…。それでも男たちは、ひたすら突き進む。その後、裕次郎の「大画面でのみ、お客様に観ていただきたい」との要望で、再上映もDVD化もされていない。あれから38年。監督だからこそ知りうる秘話を満載し、何かに熱くなることだけがすべてだった“あの時代”が、いま、鮮烈によみがえる。
目次
意外な監督依頼
五社協定の壁
監督を熊井啓に
黒部川電源開発史
「黒四」建設
私の要望
登場人物について
井手雅人氏のこと
トンネルを地上につくる
シナリオを書きはじめる〔ほか〕
著者等紹介
熊井啓[クマイケイ]
映画監督・脚本家。1930年、長野県生れ。’49年、旧制松本高校修了。’53年、信州大学文理学部卒業後、’54年、日活撮影所に入所。『霧笛が俺を呼んでいる』(’60)、『銀座の恋の物語』(’62)などの脚本を執筆。’64年、第一回監督作品『帝銀事件・死刑囚』を発表。以後、『日本列島』(’65)、『地の群れ』(’70)、『謀殺・下山事件』(’81)、『海と毒薬』(’86)、『日本の黒い夏 冤罪』(’00)などの社会派問題作をはじめ、『忍ぶ川』(’72)、『サンダカン八番娼館・望郷』(’74)、『天平の甍』(’80)、『千利休 本覚坊遺文』(’89)、『ひかりごけ』(’92)、『深い河』(’95)、『愛する』(’97)、『海は見ていた』(’02)などの文芸作品まで、幅広い作品を発表。監督作品数は現在までに19本を数え、そのほとんどが内外で多くの賞を受賞している。’95年、紫綬褒章受賞
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感想・レビュー
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MASA123
takao
真弓Trick
まさやん80
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