出版社内容情報
従軍記者を志願してまで「戦争の時」に深く食い入り、『悪霊』の作者の苦悶に感応した小林秀雄。書くことの実存に肉薄する長編論考。
「何もかも正しかった事が、どうしてこんなに悩ましく苦しい事なのだろうか」自ら従軍記者を志願してまで、あの「戦争の時」に深く食い入り、『罪と罰』や『悪霊』の作家が触知せざるを得なかった「時代」への苦悶に、まざまざと感応した小林秀雄。―― 中原中也、保田與重郎、武田泰淳、等々の「補助線」を周到に引きつつ、文学の徒として「書く」ことの切実な「実存」を精緻に析出させてゆく長編論考。
内容説明
自ら従軍記者を志願してまで、あの「戦争の時」に深く食い入り、かつて、ドストエフスキーが触知せざるを得なかった「時代」への苦悶に、まざまざと感応した小林秀雄―。中原中也、保田與重郎、武田泰淳、等々の周到な「補助線」を引きながら、文学の徒として「書く」ことの切実な「実存」を精緻に析出させてゆく長編論考。
目次
序章 回帰する一八七〇年代―「「悪霊」について」
第1章 一九三八年の戦後―「杭州」と「蘇州」
第2章 日本帝国のリミット―「満洲の印象」
第3章 世界最終戦争と「魂の問題」―「「カラマアゾフの兄弟」」
第4章 「終戦」の空白―『絶対平和論』と「マチウ書試論」
第5章 戦後日本からの流刑―「「罪と罰」について」
第6章 復員者との対話―『野火』と『武蔵野夫人』
終章 戦後日本への復員―「「白痴」について」
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
yumiha
17
『丹生都比売』出版インタビューで梨木香歩が、一番面白いと感じた本として挙げていたので興味を持った。小林秀雄が『悪霊』についての評論を中断したわけを、従軍記者の日々を洗い出しながら探る。「ここ」内地では善良な人間が「そこ」戦地では、「そこ」の日常そのままに「厭わしい罪悪」に手を染める。そのことを突き詰めて考えれば、自分という人間にも同質のものが潜んでいると気づく。それを『ひかりごけ』(武田泰淳)にもページを割きながら補う。「ここ」と「そこ」の時空にある断層は、『海と毒薬』(遠藤周作)を思い出した。2015/04/08
梟をめぐる読書
15
戦後の小林秀雄による『ドストエフスキイの文学』の中断から両者の間に共通して横たわる問いを逆照射する、異色の長編論考。「厭うべき人間に堕落しないでも厭うべき行為を為し得る」と復員後書いたドストエフスキーに対し「何も彼も正しかった事が、どうしてこんなに悩ましく苦しいことなのだろうか」と中国での従軍記者経験を基に書いた小林秀雄。両者の文章とそれぞれが生きた「戦後」を引きつつ「ここ」と「そこ」を隔てる人間存在の闇へと迫っていく展開は、評論でありながらサスペンスフル。著者の「書くこと」への切実な動機に貫かれた力作。2014/09/25
hatohebi
6
吉本隆明の「関係の絶対性」を梃子に、小林秀雄の戦争体験を捉えた力作評論。加害者になるかならないかを自分の意志で決定することはできない。親鸞―大岡昇平にも引き継がれるこの視点から、「そこ」(戦場)と「ここ」(銃後)の二分法的思考を破砕する。小林の戦後のドストエフスキー論は、自分を加害者たり得た立場に置いて、ドスト作品を読み直すという過酷な実験だった。関係に強いられてやってしまったことと、自分の意志の間にはどうしようもないズレがあり、にも関わらずその行為を自分のものとして引き受けることを筆者は重視している。2020/11/01
Kazunori
3
人は花火を一瞬で忘れても根気の前には頭を下げる、と言ったのは確か漱石だけれど、評論家の丹精な読みには居住まいを正したくなるときがある。検閲によって削除された小林秀雄の従軍記を再現しながら、彼が蘇州で経験したものとドストエフスキーの諸作を重ね合わせていく様はスリリングで、一級の文学者が「そこ」で吸った空気に自分もふれたような気がした。「何も彼も正しかった事が、どうしてこんなに悩ましく苦しい事なのだろうか」。ラスコーリニコフや従軍記者の嘆きから、歴史の恐ろしさが迫ってくる。2016/08/24
りゃーん
3
小林秀雄を貶めて安吾を持ち上げた柄谷行人と人間の行為をデリダの誤配から確率で見る東浩紀に真っ向から否を叩きつけたイマドキ稀な骨太の文芸批評。ともかく戦前・戦中・戦後の小林のドストエフスキー論の初出の軌跡を追うその丹念な書誌学的分析と時局を考慮して進める実存的問いのせめぎ合いが批評のダイナミズムを存分に味わえる。補遺には、武田泰淳の代表作でありながら、あの語り辛い「ひかりごけ」を入念に精読した論考もあり、納得し易いターム(仏教的とかキリストとか)に逃げない強靭な精神で編まれた読むことと生きることへの挑戦。2014/10/30