内容説明
雨に濡れそぼつ子ども時代の記憶と、カリフォルニアの陽光。その明暗のはざまに浮かびあがる、メランコリアの王国。密造酒をつくる堂々たち祖母、燃やされる梨の木、哀しい迷子の仔犬、ネグリジェを着た熊、失われた恋と墓のようなコーヒー、西瓜を食べる美しい娘たち…。囁きながら流れてゆく清冽な小川のような62の物語。『アメリカの鱒釣り』の作家が遺したもっとも美しい短篇集。
著者等紹介
ブローティガン,リチャード[ブローティガン,リチャード][Brautigan,Richard]
1935年ワシントン州タコマ生れ。’60年代はじめ、初の小説『アメリカの鱒釣り』を執筆。’67年に刊行された同書は世界中で200万部のベストセラーに。その後、イメージの万華鏡ともいわれる風変わりで愛すべき傑作を執筆。’84年、ピストル自殺
藤本和子[フジモトカズコ]
1939年東京生れ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
266
本書は『アメリカの鱒釣り』以降に書かれた短篇の網羅的集積であるようだ。全部で62篇を収録するが、スタイルも(小説の結構を取るものもあるが、散文詩風のものも)長さも(最短は、わずか2行。最長でも数ページ)バラバラで一見したところでは、そこに統一感を見いだせない。ただただアメリカがそこにある。とはいっても描かれるのはワシントン(D.C.ではなくstate)、オレゴン、カリフォルニア(しかも概ねサン・フランシスコまで)といったパシフィック・コーストの北部だが。感覚的には、やはりビートニクの匂いが濃厚なようだ。2015/05/23
ケイ
142
既視感と違和感。訳者は村上春樹かと確認したら、藤井光氏が米文学の訳が格段に質を上げたと話されていた時に言及されていた女性。違和感は、村上春樹の短編よりもっと太く優しいメランコリー。彼はブローディガンを何度も何度も読んでいたのかもしれない。自伝的出来事を含むという短編たち。女性の身体の美しさ、ブロンドの髪に惹かれながら、もうどこかでうんざりしてるようなのは、彼が書く短編にずっと耳を傾ける人がいなかったのかもしれない。こんな作家が本当にアメリカで忘れられかけているのだとしたら、本当に残念なこと。珠玉の短編集。2020/03/20
やきいも
91
読んだ人によって好きか嫌いかが大きくわかれるタイプの本だと思います。よく言われますが、村上作品とかなり雰囲気が似ており、村上春樹が影響を受けた作家なのかもしれません。ブローティガン独特の、透明なみずみずしい言葉で生きる上での喜びや悲劇が語られています。それぞれの短編には明確なストーリーはあまりなくて、短編集というよりは、詩集のような感じの本です。収録短編の中では、私は「コーヒー」が好きで何度も読み返しました。2015/05/07
(C17H26O4)
81
とりとめのないような、日記のような散文詩のような文章が、あたたかくもなく、さむくもなく、あつくもなく、つめたくもない場所で、ぼんやりと思いに耽っている時間みたいに心地よい。とてもとても好き。けれど胸が苦しいな。大切な記憶が思い出す側から次々にこぼれていってしまうような感じで。記憶から失われてしまった部分があることに気がついて呆然としてしまうみたいな感じで。塞ぐことのできない心の穴を見ているみたいな感じで。それでいて慰められている感じで。2022/08/06
zirou1984
54
アメリカの分断が可視化されてゆく今日この頃だが、ブローディガンはアメリカの裂け目そのものをずっと以前から描いていた。散文的な人生しか過ごせなかった者のみが書き得る孤独の花束。きれぎれの断片と、ばらばらな言葉がくっついて隙間だらけの人生にユーモアが沁みていく。ちょっとした間の悪さや笑うに笑えない失敗、他人からすれば取るに足らないコンプレックスの様な日陰に置き去りにされた感情を、ブローディガンは丁寧に磨き上げておどろきの形で差し出してくる。それは、時代が変われど決して変わらない人間そのものの姿だと思うのだ。2016/11/12
-
- 和書
- 平壌ハイ 文春文庫