内容説明
不況時代のセント・ルイスの裏街を舞台に、生活に疲れ果てて、昔の夢を追い、はかない幸せを夢見る母親、脚が悪く、極度に内気な、婚期の遅れた姉、青年らしい夢とみじめな現実に追われて家出する文学青年の弟の三人が展開する抒情的な追憶の劇作者の激しいヒューマニズムが全編に脈うつ名編で、この戯曲によってウィリアムズは、戦後アメリカ劇壇第一の有望な新人と認められた。
著者等紹介
ウィリアムズ,テネシー[ウィリアムズ,テネシー][Williams,Tennessee]
1911‐1983。アメリカの劇作家。ミシシッピ州コロンバス生れ。不況時代のセントルイスで不幸な家庭環境のもと青春時代を送る。各地を放浪、大学、職をかえながら、創作をしていたが、’44年自伝的作品「ガラスの動物園」がブロードウェイで大成功し、’47年の「欲望という名の電車」、’55年の「やけたトタン屋根の猫」で2度ピュリッツァー賞を受賞。その名声の裏で、生涯背負いつづけた孤独との葛藤から私生活は荒れていた。ニューヨークのホテルの一室で事故死
小田島雄志[オダシマユウシ]
1930年旧満州生れ。東大英文科卒。英文学者、演劇評論家。シェイクスピアの戯曲を個人全訳。芸術選奨文部大臣賞(評論等部門)受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ケイ
139
高校生の頃に読んだのが最初。その時には、こんな大人になるのが恐ろしい、こんなふうにはなりたくないと思ったのをよく覚えている。改めて読んでみると、まず、時代〜大恐慌や欧州でのドイツの状況など〜が暗い影を落としており、重苦しい。それに加え、母親の毒がひどく、さらにまたやってくる青年の身勝手さにあきれてしまい…。そして、皆が勝手勝手に自分だけの思いを抱えて一つ屋根の下にいる悲劇がひどいものだ2021/05/08
ヴェネツィア
137
劇の舞台はセントルイスだが、語り手のトムが作者自身と重なって見えてしまうために、テネシーを想起してしまう。テネシーのどこかによっても違うだろうが、田舎町を想定するならば、その広大な環境とは裏腹に、あるいはそれゆえに一層強い閉塞感にとらわれる。この劇では、母親のアマンダと姉のローラ、そしてトムの3人は、3様の行き詰まり感を抱えているのだが、それがジムの来訪によって一挙にあらわになってゆく。どうにもやるせなく、行き場のないドラマがそこに展開するのである。劇中での動きは少ないのだが、内面劇としての説得力は凄い。2012/12/11
NAO
110
勇気がなくて失敗を恐れているだけではなく、変化そのものを嫌がって、現実から隔離した、自分だけの世界に住んでいる女性たち。未来への夢もあれば、希望もあり、閉じられた世界で生きることに耐えられない男たち。トムは、人生という旅の途上で、懐かしく、かつて自分が住んでいたあのひっそりとした家の窓を思い出す。なぜなら、過去の世界に住み続けることは、何かをするために動き続けることよりも楽だから。でも、きっと、トムは、もう二度とあの家に戻りはしないだろう。彼の父親が二度とその家に戻ってこなかったように。2018/10/10
Major
104
観る者からは自己投影。舞台からは乱反射。それらが重なり、或いは衝突し、僕達の仮定法過去完了の無限後退が心中にこだまする。追憶の世界が幾重もの光を放ち、豊かなものであったことを知る。それがたとえ、哀しく切なく、苦いものであったとしてもーテネシーの自伝的作品であるという。彼の幼少からの複雑な家庭状況はその構成要素の中心となっているのであろうが、物語が付着せられた追想と過去の事実の思い出の所々のガラスのかけらのような断片を再構成し、いわばジグゾーパズルを完成させるようにして、拵えられた戯曲ではないだろうか。2020/04/26
zero1
95
ヒューマニズムと普遍的なテーマの家族を描いている。45年に発表され今後も世界中で読み継がれるはず。「欲望という名の電車」とともに、あまりに有名な戯曲の名作。舞台は不況下にあった30年代のセントルイス。トムは外の世界を飛び出したかった。ローラは足が不自由で引っ込み思案。母親はバイタリティーありすぎ。トムの同僚ジムが夕食に招待される。ガラスの動物たちと過ごしていたローラに、光が差す瞬間が・・・作者自身、ジフテリアで足が不自由だった。自身の経験と姉がローラのモデル。人は少しのきっかけで自分を評価できる。2018/11/28
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