内容説明
毎週木曜日夜9時―誰もが唄える歌があふれていた歌謡曲の黄金時代。誰もがこの番組に釘付けだった。黒柳徹子・久米宏の名司会、ランキング方式での歌手の出演、ハプニング連続の生放送、生中継。70年代~80年代を彩った音楽シーンがそこにあつまっていた。番組の誕生から終焉までをすべてに携わってきた男が綴る黒柳徹子さんとの記念対談と「全ベストテンランキング一覧」も収録。
目次
第1章 番組企画
第2章 番組司会
第3章 番組中継
第4章 番組交遊
第5章 番組進行
第6章 番組社員
第7章 番組終焉
第8章 番組回顧(あとがきにかえて)
スペシャル対談 黒柳徹子×山田修爾―国民的番組の「表」と「裏」の放映30周年記念対談
巻末付録 『ザ・ベストテン』全603回ベストテンランキング一覧
著者等紹介
山田修爾[ヤマダシュウジ]
1945(昭和20)年、東京生れ。’69年、慶應義塾大学を卒業後、TBS(東京放送)へ入社。主に制作局で音楽番組を手がけ、’78年1月から’89(平成元)年9月まで「ザ・ベストテン」のディレクター、プロデューサーを担当した。「ザ・ベストテン」の番組終了後は、スポーツ局番組制作部長、編成局アナウンス部長などを歴任し、2005年同社を退社。現在、「キャスト・プラス」代表取締役社長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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mazda
42
当時小学生だった私は、毎週欠かさずベストテンのランキングをノートにつけていました。地元のホテルにたのきんトリオが来たときは、周囲の友達みんな生放送を見に行ってたな、なんてことも思い出しました。正に青春の思い出です。こんな番組、もうできないんだろうな…。2013/11/08
ぐうぐう
36
『ザ・ベストテン』が画期的な歌番組であったことは、誰もが認めるところだ。当初はディレクター、のちにプロデューサーとしてこの番組に関わった著者が、その立ち上げから大人気番組へと成長し、やがて最終回に至るまでの裏舞台を詳細に振り返った本書だが、確かに「そうだったのか!」と初めて知る事実も多いものの、読み物としては些か物足りない。生放送で、しかも積極的に中継を交え、なおかつ人気絶頂のスターが登場する番組なのだから、ハプニングやアクシデントの類は山のように起こる。(つづく)2019/01/06
レミニサンス
34
この本に書かれている事がわかる方々は50歳以上だろう。あの番組が放送されていた時期だったからこそ本当に楽しめた。私は、この番組を見て大学に行けるほど頭がよければ技術系の資格を取って中継とかの仕事をしてみたいと、小さい頃思っていました。簡単なアマチュア無線の資格は取りましたが、お金もかかるため残念ながらそれも出来ません。2022/05/06
五月雨みどり
28
文献として保存版。歴史的価値あり。なぜか。それは,巻末に放送初回(1978年1月)~最終603回(1989年9月)の12年間に及ぶ全ベストテンが掲載されているから。本書は,この昭和の画期的音楽番組TBS『ザ・ベストテン』のディレクター(のちにプロデューサー)の著者が,1977年の日本音楽界(歌謡全盛からフォークを経てニューミュージックへの過渡期)から同番組を生み出し,視聴率40%を叩き出すオバケ番組にまで作り上げ,時代の趨勢(昭和の終り)とともに終りを引き受ける軌跡を,泥臭い番組制作の現場から綴っている。2023/05/02
aloha0307
23
1978年1月から11年余(最終:603回) 視聴率40%超え⚡⚡ 昭和 my青春ド真ん中のTV番組でした。プロデューサー;山田さんが語るいくつもの”事件”~言われれば、殆ど覚えてました☺(とくに、黒柳さんが涙した シャネルズ事件;「K人のくせに...」 ある子供がマイクを向けられ、さも当然かのように...)ランキング603回全掲載は☺☺~明菜・聖子が双璧 一歩下がって近藤・田原✿✿ お茶の間 思えば、家族全員で1台のTVを視てた最後の10年(ビデオデッキ普及はまだ先)だったのだね(ああ回顧)...2020/09/06