出版社内容情報
江國 香織[エクニ カオリ]
著・文・その他
内容説明
私はたぶん泣きだすべきだったのだ。身も心もみちたりていた恋が終わり、淋しさのあまりねじ切れてしまいそうだったのだから―。濃密な恋がそこなわれていく悲しみを描く表題作のほか、17歳のほろ苦い初デートの思い出を綴った「じゃこじゃこのビスケット」など全12篇。号泣するほどの悲しみが不意におとずれても、きっと大丈夫、切り抜けられる…。そう囁いてくれる直木賞受賞短篇集。
著者等紹介
江國香織[エクニカオリ]
1964(昭和39)年東京生れ。短大国文科卒業後、アメリカに一年留学。’87年「草之丞の話」で「小さな童話」大賞、’89(平成元)年「409 ラドクリフ」でフェミナ賞。’92年『こうばしい日々』で坪田譲治文学賞、『きらきらひかる』で紫式部文学賞、’99年『ぼくの小鳥ちゃん』で路傍の石文学賞、2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、’04年『号泣する準備はできていた』で直木賞を受賞。絵本の翻訳も多い(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
677
第130回(2003年下半期)直木賞受賞作。直木賞もまた芥川賞同様に振幅が大きいが、本篇はプロットのエンターテインメント性に依拠しておらず、その意味では純文学に近い位置にあると言える。表題作を含めて12の短篇からなるが、いずれも大人の女たちを主人公にした、それぞれに過去を持つ、ほろ苦さを伴った物語である。また、ここに描かれる恋は時には「肉欲に溺れ」たりするように、けっして観念的なものではなく強く実態的である。しかし、確かさを信じていたはずの互いの関係性は儚く、それらの恋はその本質において究極的には孤独だ。2015/03/26
さてさて
450
私達は長い人生を生きる中で、色んな経験をしながら歳を重ねていきます。そんな歳月は連続する”瞬間”の集まりです。その”瞬間”、”瞬間”に何かを思い、何かを考えながら私達は生きています。それらの大半は、実際には記憶の彼方に忘れ去られてしまうものも多いのだと思います。”ある瞬間”に大きな意味を持っていた事ごとも、長い時間の中では均されて平板、平坦、そして平穏な日常の中に埋もれていきます。そんな12の”ある瞬間”に光を当てるこの作品。何も起こらない12の物語が故に、人生とは、と逆に考えてしまう、そんな作品でした。2021/05/26
三代目 びあだいまおう
304
人間って複雑。感情はちょっとしたきっかけであっちいったりこっちきたり。単純に割りきれる感情なんて1つもない。喜びも怒りも悲しみも、寂しさも悔しさも切なさも、勇気も不安も理解も孤独も、もちろん愛も!何気ない日常の、ちょっぴり憂鬱なワンシーンに漂う、私達の言葉にできない複雑な感情を江國さんはその表現センスで文章化する。表題作のP195の1段落の表現は断トツだ!この作品が本書全体を亘るテーマではなかろうか?元々短編苦手ですが、これは一冊で色んな人の複雑な感情をセンチに疑似体験したような江國ワールドでした‼️🙇2019/09/05
こーた
282
テンポよく平易なことばで描かれる情景には、どれもことばであらわすのが難しい、複雑な心情が潜んでいる。自分自身も気づいてさえいなかった日々のモヤモヤを、ていねいに、二十頁ほどの短さで、スパッと切り取る。この切れ味の鋭さ。アメリカの短篇のような、固く乾燥した枠の内側に、湿度をまぶしたようなアンバランスが心地いい。バー、温泉旅館、デパート。日常のすぐそばにある非日常に身をおくことで、日常の側がよりよく見える。この十二篇の物語そのものが、ぼくらの日常に光を充てる、ちょっとした非日常、のようである。2019/10/22
ちなぽむ and ぽむの助 @ 休止中
199
過不足ない生活というのは、どうしようもなく満ち足りていて、残酷でこわい。甘やかな行き止まり、ざらっとした質感、混乱。私たちはそこから何処へも行けないのだ。 江國さんの作品は何が起こる訳でもなかったり、似たような状況を描いてることが多かったりで、短編集は特に本を閉じたら何が書かれてるか忘れてたりするんだけど、ページを繰って独特の表現に浸る時間が好き過ぎて何度も読んでしまう。自分では絶対使わない言い回しがびっくりするほどしっくりきたりするんだよなぁ。江國さんの感受性がほしい。今回は熱帯夜が好き。2019/05/17