内容説明
ぼくはいつか死ぬ。たったひとりで。なのに、大人は平気で生きろと言う。理由なき世界に生み落された少年は、「ただ死んでいく」のではなく、自ら「生きていく」ことを選びたいと願った。そして、月に照らされた森を抜け、老師の庵へとたどりついた―九夜にわたる問答を通して語られる、命の苦しみ、尊さ。気鋭の禅僧の精錬された文章とその行間が、魂へ深く深く突き刺さる現代人必読の物語。
著者等紹介
南直哉[ミナミジキサイ]
1958(昭和33)年長野県生れ。禅僧。早稲田大学文学部卒業後、サラリーマン生活を経て、’84年曹洞宗で出家得度。同年、福井県の大本山永平寺へ入門。2003(平成15)年まで約20年の修行生活をおくる。’05年から青森県恐山の院代(山主代理)に。福井市霊泉寺住職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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新地学@児童書病発動中
136
短い本だが、ずっしりとした重みを感じる良著。生きていくことの意味を、断言せずに手探りしていく著者の姿勢に好感を持った。生きることの意味を少年が老師と語り合うことによって、見つけ出そうとする。明快な答えが出されるわけではないし、結末まで読んでもはっきりしない点がある。それでも、生きていくことの重みを胸に刻み込んでくれる物語だと思う。著者は僧侶であり、仏教的な物の見方が押しつけがましくない感じで表現されていた。これから繰り返し読んでいきたい。2015/10/04
はらぺこ
74
読む時期を通り過ぎてた気がします。もっと若い頃、十代か二十代で読んでれば何かを感じ取れたと思います。書かれてる事は良い事ですし、なるほどと感じる事も多かったです。でも、『そんなもんやろなぁ』って感じ止まりで想像を上回る答えじゃなかったです。解説で、みうらじゅんさんがブルース・リーの有名な言葉を書かれてましたが、やっぱ、こういうのは映画や小説に少しだけ引用されたりする方が自分の心には響くのかも知れません。2012/12/01
ろくせい@やまもとかねよし
71
少年が老師を訪ね問い質す問答編集。予想外に理解し難かった。語り口は容易だが「自分で考えろ」スタイルが難しい印象をもったのか。あとがきのみうらじゅんさんの記述から本書の主旨を少し納得した。「師とは、投げやりにならず、弟子の言葉を受けとり考え、悟す者」と。「人間だけが始まりと終わりを知ってしまっている。よく考えて生きなければ虚しくて堪えられない」と。2018/02/14
モリー
54
答えが出なくとも、一度取り憑かれてしまうと何度でも繰り返し考えてしまう問題が、誰にでもあるのではないでしょうか。少なくとも私にはあります。大人になると、その問いと真剣に向き合うことを避けるようになってしまいますが、自分とは何か、何故生きなければならないのか、神は存在するか、などなど、答えが見つからない、あるいは、答えなど初めからない問題があります。若い頃は、私も真剣に悩みました。そして、今でもときどきその問いが頭をもたげるのです。その問いに向き合う少年は、私自身でした。私も再び老師に会いに来るでしょう。2024/09/22
ケイ
48
老師に教えを請うのが少年であるように、思春期や20代の若者が、なぜ生きるのか生死観を自問するような時期に読むのがいいと思う。今でも参考になる話はあるが、歳を取れば責任ができ、とにかく生きていくこと、働くことが前に出てくるからだ。老師と少年の会話そのものより、その後の老師と少女の短い会話、最後の少女の一人語りが一番わかりやすく、すっと入ってくる。「この世にたった一つしかないものは、だから大切か、無意味か?」「本当に一つなら無意味だ」「でも、その一つが無意味だと思えないから、人は苦しいのだ」2014/01/26