出版社内容情報
塩野 七生[シオノ ナナミ]
著・文・その他
内容説明
紀元337年、大帝コンスタンティヌスがついに没する。死後は帝国を五分し、三人の息子と二人の甥に分割統治させると公表していた。だがすぐさま甥たちが粛清され、息子たちも内戦に突入する。最後に一人残り、大帝のキリスト教振興の遺志を引き継いだのは、次男コンスタンティウス。そして副帝として登場したのが、後に背教者と呼ばれる、ユリアヌスであった。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
392
この巻では皇帝コンスタンティウスの事績が語られる。最初にキリスト教を公認し、後世からは大帝と呼ばれたコンスタンティヌスの後継者となったのは次男のコンスタンティウスであったが、そのスタートはコンスタンティヌス2世(長男)、コンスタンス(三男)と帝国を3分統治していた。最初に長男が、次いで三男がそれぞれ自滅するような形で退場することで、ようやくコンスタンティウスの1人アウグストゥス時代を迎えたのである。この人は小心であった上に、宦官にも操られていたようで、どうも塩野氏はこの人がお気に召さないようだ。⇒2020/12/03
ケイ
91
ローマ帝国において、アウグストゥスに次いで長い30年間ほど皇帝であったコンスタンティヌスが病死する。3人の息子が帝国を3分割して継ぐも、長男と三男の争い、続く部下の反乱により、次男のコンスタンティウス2世が残るが、彼が行った粛清により残る身内は甥の二人となる。12歳で父が粛清されガウスは、26歳で副帝となるも、反乱を起こしたユダヤ教徒を大量に殺したことで自らも処刑される。代わってガウスの弟のユリアヌスが副帝となりガリア平定を任される。完全に文人であったユリアヌスだったが、平定に成功した。2014/12/08
優希
76
キリスト教を振興したコンスタンティヌスもまた、キリスト者だったのではないかと思わされました。没後の内乱を経て、その意志を継いだのはコンスタンティウス。キリストを優遇しすぎ、人を不信視するのはどうなのでしょう。後、ユリアヌスが副帝として台頭してきますが、彼は背教者だったようです。しかしながら、哲学者として力を発揮するのは使命者であったということでしょう。2018/11/12
KAZOO
66
いよいよこの巻からはユリアヌス帝が中心の話となります。辻邦夫さんの「背教者ユリアヌス」を読んでいるので、対比していくと面白いと思います。この37巻ではコンスタンティヌスが没しその後内乱状態のようになりますが、コンスタンティウスが皇帝となり、甥のユリアヌスを副帝とします。キリスト教を公認して、キリスト教会関係者は非課税として、のちの火種となります。物語としても面白いですね。2015/05/14
スター
54
この巻も面白かった。紀元337年ローマ帝国の大帝コンスタンティヌスが死亡。大帝は、死後の帝国を5分割し、三人の息子と2人の甥に任せると公言していた。 が、大帝の死後、すぐに甥たちが粛清され、息子達も内戦状態に。 ただ1人生き延びた次男のコンスタンティウスが、大帝のキリスト教振興の意思を引き継ぐ。そして副帝にユリアヌスが任命される。 学究肌のユリアヌスだったが、意外にも戦場で活躍し、配下の人望を集めるようになる。 ローマ帝国に古代中国やオスマントルコのような宦官がいたとは初めて知りました。2020/07/21
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