内容説明
安全保障の重要性を誰よりも知っていたハドリアヌスは、治世の大半を使って帝国の辺境を視察し続け、帝国の防衛体制を磐石なものとした。しかしその責務を無事終えローマに戻ったハドリアヌスは、ローマ市民の感覚とは乖離する言動をとり続け、疎まれながらその生涯を終える。そして時代は後継者アントニヌス・ピウスの治世に移るが、帝国全域で平穏な秩序は保たれ続けた。それはなぜ可能だったのか。
目次
第2部 皇帝ハドリアヌス(承前)(ヴィラ・アドリアーナ;再び「旅」に;ローマ軍団;エジプト;美少年;ユダヤ反乱;「ディアスポラ」;ローマ人とユダヤ人;余生;後継者問題;死)
第3部 皇帝アントニヌス・ピウス(幸福な時代;人格者;マルクス・アウレリウス;「国家の父」)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
402
ローマ帝国五賢帝の4人目アントニヌス・ピウス。彼の治世は23年に及んだのだが、それにもかかわらずハドリアヌスやトライアヌスについて書かれた記述の1/4くらいしかない。彼は何よりもパクス・ロマーナの安定だけを心掛けてきたのである。そして、それは見事に果たされた。その礎を築いたのはトライアヌスであり、ハドリアヌスであった。何も新しいことをしないピウスは、皇帝としては不人気ではなかったが、しかし誰も伝記を書こうとはしなかったのである。後代の研究者たちもまた。まさにネロの対極にあったような皇帝であったようだ。2020/09/06
ケイ
99
ハドリアヌスは、美しい少年を愛したようだ。またユダヤに対しては厳しく、割礼を施すことを禁じたことで、後にユダヤの反発を招くことになり、「離散(ディアスポラ)」をもたらした。各地の視察を終えたハドリアヌスは気難しくなり、体も壊し。62歳で死す。その後、アントニウス・ピウスが皇帝となるが、イタリアをほとんど離れずに内政に力を入れた。23年も皇位にいたが、特筆すべきことが書かれていない。前帝二人の業績の遺産であったのか、本人の善政がもたらしたものなのかが、よくわからかった。2014/11/13
優希
94
自ら責務を終えたと納得し、ローマに戻ったハドリアヌス。その老後は「老害」に近いもののように見えました。ユダヤ人へと向けられた刺激は果たして正しいことだったのか考えさせられました。最後まで自分に生き、その後を継いだのはアントニウス・ピヌス。平穏に保たられた秩序が国を包み込みます。過去の体制が変化し、穏やかな帝国へと行き着いたのでしょう。2018/08/31
KAZOO
70
ローマ帝国の辺境視察から戻ったハドリアヌスはやはり年齢がそうさせたのか、ローマ人が望むような対応を行なわないで人気のかげりが見えてきます。またこのときのユダヤ人問題が後々まで尾を引くことになります。その後、人格者であるアントニヌス・ピウスが後継者となり平穏な時代を演出します。2015/03/24
万葉語り
53
五賢帝時代の最後はハドリアヌス治世の後半とアントニヌス・ピウス。海外視察と美少年を愛したハドリアヌスだったが、老後は頑固で人の言うことに耳を貸さず記録抹殺刑の憂き目にあいそうになる。それを救った「国家の父」アントニヌス・ピウスだが、何もしないことが彼の治世だった。塩野さんをして40ページしか語らさせないその安定した治世も必要だったのだろうと思った。2017-312017/03/05