内容説明
帝政を構築した初代皇帝アウグストゥス。その後に続いた、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロの四皇帝は、庶民からは痛罵を浴び、タキトゥスをはじめとする史家からも手厳しく批判された。しかし彼らの治世下でも帝政は揺らぐことがなく、むしろローマは、秩序ある平和と繁栄を謳歌し続けた。「悪」と断罪された皇帝たちの統治の実態とは。そしてなぜ「ローマによる平和」は維持され続けたのか。
目次
第1部 皇帝ティベリウス―在位、紀元一四年九月十七日‐三七年三月十六日(カプリ島;皇帝即位;軍団蜂起;ゲルマニクス;公衆安全 ほか)
著者等紹介
塩野七生[シオノナナミ]
1937年7月7日、東京生まれ。学習院大学文学部哲学科卒業後、イタリアに遊学。68年に執筆活動を開始し、「ルネサンスの女たち」を「中央公論」誌に発表。初めての書下ろし長編『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』により1970年度毎日出版文化賞を受賞。この年からイタリアに住む。82年、『海の都の物語』によりサントリー学芸賞。83年、菊池寛賞。92年より、ローマ帝国興亡の一千年を描く「ローマ人の物語」にとりくむ。93年、『ローマ人の物語1』により新潮学芸賞。99年、司馬遼太郎賞。2002年、イタリア政府より国家功労賞を授与される
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感想・レビュー
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ヴェネツィア
439
第2代皇帝のティベリウスを描く。ティベリウスが、カエサルの後継指名を受けた初代皇帝アウグストゥスの40年にも及ぶ治世を引き継いだのは56歳の時。しかも、その指名のされ方たるや、ゲルマニクスまでの繋ぎといった感さえあった。2代目であることといい、また帝位に就いた年齢といい、さらにはその置かれていた立場といい、これでは積極策に出ようもなかったであろう。この巻は著者が彼が晩年を過ごしたカプリの別荘を訪れるところから始まるが、それはティベリウスの孤愁を象徴するものであり、読後は塩野の感慨を共に追想することになる。2020/01/05
レアル
111
2代目皇帝ティベリウス。彼は人気取りの政策は行わなかったどころか、何一つ新しい政治を行わなかった。しかしアウグストゥスの構築した帝政に専念したからこそ、帝政ローマを盤石にしたティベリウス。地味だけど素敵な皇帝。2013/12/28
ehirano1
104
悪名高き皇帝?お一人目はティベリウスさんご登場。塩野さんは「悪名高き皇帝」懐疑派なので、ティベリウスがちっとも悪名高くないように感じてしまいます、今のところ。ただ、やっぱりゲルマニクスの葬儀に出なかったことが最大のミス。塩野さんもこの件については「個人的感情のいかんにかかわらない礼儀の問題である(p155)」と弁護の余地もない失策であると手厳しく述べています。2017/12/02
ハイク
103
アウグストゥスの後の皇帝たちの物語である。「悪名高き皇帝たち」と名付けているが、読後感ではティベリウスは悪名の高い皇帝ではなかったと思う。カエサルやアウグストゥスがあまりにも偉大であったのだ。そして後継者が死んでしまったりして、ティベリウスに順番が回って来たのだと思う。彼は軍事の才能はあったが、政治方面では苦手であったのではないかと感じる。20数年間皇帝として君臨し77歳で亡くなった。後継者として育成した息子達は不運にも亡くなった。こういう事情で跡継ぎがいなく、長く勤めざるを得なかったのだと思う。 2018/09/26
ケイ
90
アウグストュスが後継者に指名したのは、義理の息子ティベリウス、それは自らの血をひくゲルマニクスがいずれ皇帝となるまでの中継ぎとしての役割であったのだろうか。しかし、ゲルマニクスは遠いオリエントの遠征先で亡くなる。現在では、ティベリウスが総督に毒をもらせたというのが定説のようだが、当時のローマの民衆は疑わなかった。しかし、アウグストュスの血をひくゲルマニクスの妻、アグリッピーナはティベリウスを疑い、憎み、ティベリウスの子孫に権力が継承されることを恐れる。2014/10/31