内容説明
ユリウス・カエサルが暗殺されてから十五年。彼の養子オクタヴィアヌスは、養父の遺志に逆らうように共和政への復帰を宣言する。これに感謝した元老院は「アウグストゥス」の尊称を贈り、ローマの「第一人者」としての地位を認めた。しかしこの復帰宣言は、カエサルの理想であった「帝政」への巧妙な布石であった―。天才カエサルの構想を実現した初代皇帝の生涯を通じて、帝政の成り立ちを明らかにする。
著者等紹介
塩野七生[シオノナナミ]
1937年7月7日、東京生まれ。学習院大学文学部哲学科卒業後、イタリアに遊学。68年に執筆活動を開始し、「ルネサンスの女たち」を「中央公論」誌に発表。初めての書下ろし長編『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』により1970年度毎日出版文化賞を受賞。この年からイタリアに住む。82年、『海の都の物語』によりサントリー学芸賞。83年、菊池寛賞。92年より、ローマ帝国興亡の一千年を描く「ローマ人の物語」にとりくむ。’93年、『ローマ人の物語1』により新潮学芸賞。99年、司馬遼太郎賞。2002年、イタリア政府より国家功労賞を授与される(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ヴェネツィア
433
『ローマ人の物語』全体で、最も血沸き肉躍るのはカエサルの巻だろう。稀代の軍略家にして、卓越した政治力と人間の本質を見抜くセンス。そうでありながら、同時に借金王で女には滅法だらしがない。つまりカエサルはあらゆる意味において魅力的だった。面白さではハンニバル戦記がこれに次ぐだろう。さて、それではアウグストゥスは?といえば、これはかなりに地味だ。なにしろローマの興隆期ではなく(実は興隆期でもあるのだが)、ローマが守りに入る時期なのだから。理性ではその面白さもわかるが、残念ながら感情の震えはないのである。2019/11/19
ehirano1
130
「ミスター自己制御」と云っても過言ではないオクタヴィアヌス。やはり「自己制御」がポイントなんでしょうね。2017/08/18
レアル
126
カエサルが亡くなり、後を継いだアウグストゥス。カエサルほど派手ではないが、着実に帝政の準備に入っている。したたかさもプラスされて、政治という実を結び付けているところが凄い。「領土拡大から維持の時代へ」アウグストゥスの改革は読んでて楽しいし、駆け引きが面白い!2013/12/09
ケイ
104
アントニウスとの権力闘争に勝ったオクタヴィアヌスは、自分自身が軍隊を率いて外国に出るのではなく、ローマにいて帝政を敷く。カエサルは元老院の反感をかったのに、オクタヴィアヌスにおいてはいとも簡単に様々な政策を実施していけたのはなぜだろう。やはり自国を長きにわたって留守をしてはいけないのだろうか。著者は、オクタヴィアヌスがいかに巧妙に冷徹に行動していたか、天才ではないが故の知恵者としての振る舞いに筆をさいているが、アグリッパのような武将をうまく使っていき、帝政を成立させたというのは、やはり天才ゆえのことだ。2014/10/21
ハイク
99
カエサルの養子オクタヴェアヌスはアントニウスとの戦いで勝利して、エジプトを含む東方の覇権を手にした。元老院は「オクタヴェアヌス」に対して「アウストゥス」の尊称を贈り、名実ともにローマの第一人者となった。こうしてローマの統治体制を着実に確固たるものにして行く。即ち「ローマ帝国」の確立であった。それには属州の統治体制であり、軍事改革や行政改革を行なっていく。カエサルほどの派手さはないが、着実に時間をかけ実施して行く。徳川家康のように一歩一歩踏みしめて行く。パルティア王国を屈服させ、エジプトを完全に組み入れた 2018/09/11