内容説明
温泉施設「ことほぎの湯」には、重い病を忠う人が集まったくる。僧・玄山は書道教室を開き、彼らの相談相手になっていた。末期癌の久美子は明るい人気者だが、心に深い孤独を秘めたクリスチャン。あるとき、彼女は身寄りもなく死んでいく男を懸命に世話する。そして、自らの死を悟った久美子が玄山に告白した「罪」とは…。多様な宗教観にたつ人間の病と死を描き、究極の癒しを問う衝撃のデビュー作。
著者等紹介
玄侑宗久[ゲンユウソウキュウ]
1956(昭和31)年、福島県三春町生れ。慶応義塾大学中国文学科卒。様々な仕事を経験した後、京都の天龍寺専門道場で修行。現在は臨済宗妙心寺派の福聚寺副住職。デビュー作「水の舳先」が芥川賞候補となり、2001(平成13)年、「中陰の花」で芥川賞を受賞
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感想・レビュー
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優希
25
静かな重く淀んだ水にたゆとう感覚に流されるのが好きです。病と死を描きながら、突き詰めてくるものの闇に飲まれていくのに静かな感動につつまれていくのは、この物語が「向き合う」物語だからでしょうね。重い病を抱える人たちの相談を引き受けていた僧・玄山と末期癌のクリスチャン・久美子の出会いがなければおそらく見つめなかった自分があると思います。僧侶とクリスチャンの違いはあれど宗教の壁を越えた心の交流が印象に残りました。罪を告白する久美子の中にある深い孤独、宗教を超えた究極の癒し。慈悲と潤いと恍惚に満ちた美しさですね。2014/05/04
よう
6
思ったよりも読み易く、芥川賞受賞作『中陰の花』を読んだ時よりも、鮮明に死に対するイメージを持つことができた。命が尽きることを宣告された人々の精神状態は、計り知れるものでは決してないが、生きながら死に触れることの恐怖と一種の美しさを読者に感じさせる小説である。僧である主人公が他の宗教について考えを巡らせる場面や宗教のもつ表面上のおかしさがあらわれている様子も、大変興味深いものだった。2013/01/22
ムー
4
死の病を持って集まっている人々と和尚との心の通いは 何とも言えず良い。静かな良品だと思う。2019/10/15
たちばな
3
取っつきにくそうなタイトルに反して、物語はスムーズ。お坊さんが書いた小説なのに、キリスト教が自然に絡む。後半は意外な展開に驚く。自己犠牲の痛々しさがあるが、それによって本人が救済されたように感じられた。読み手として気持ちの落とし処があったのは幸いだ。主人公は救ったのか?救われたのか?答えは出せない。自分の大切な人が命を全うする前に温かみのある「手当て」を受けられますように。そして、その前に自分がくたばっていますように。そう願った。2019/11/30
トモリカ
3
温泉療養施設に逗留する人たちの人間模様。末期ガンの久美子は、身寄りもなく死んでいく男を懸命に世話をし、ある日、自らの〝罪〟について僧・玄山に告白する。生命力と生きたいと願う気持ち。あたりまえだけど、それって強いもので、だけどあっけないものだと感じた。現役僧侶さんが書いた話なのですが、仏教にたいして説教臭さがなく、他の宗教に対しても柔軟で読みやすかった。物語としては、わかったような、わからないような。でしたけど「生きて死ぬこと。」の美しさのようなものを感じた。キリストより仏教が好きかも?わからないけど。2013/09/24
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