感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
優希
82
道ありき3部作の最終巻になります。自伝というより、信仰について証したとも言うべきでしょう。人として生きる上で、大切なことを語りながら、キリストの愛に導かれるという希望がつづられていました。信仰を持つことで自分の罪や醜さを嫌というほど見ることになりますが、そこに正しい光を灯して下さるのがイエス・キリストであったに違いありません。正しい道を照らすキリストがいるからこそ、信じて歩むことができる信仰を持てるのだと思います。信仰はいかに弱い心を癒すか、改めて気付きました。2016/06/04
molysk
68
三部作の最終巻は、前の二巻が自伝的なものであったのに対して、キリスト教への信仰を説くものである。人間がいかに罪深く、弱く、愛がなく、不自由で、虚しい存在であるか。このような人間にも、神を知るときに新しい生き方が与えられる。神とは何か、信ずるとは何か。三浦は自分の訴えが、万人に届くものではないことも知っている。だが、これからの人生で絶望に打ちひしがれたときに、救いとなる言葉を知っていれば、どれだけの人が救われることか。三浦は平易かつ力強い言葉で、私たちに語りかける。光あるうちに光の中を歩もうではないか。2022/03/27
ach¡
47
聖書は読解できなくても三浦作品でその言わんとすることは嵩める。嫌でも人間の(自身の)罪深さ、醜さ、弱さを付きつけられ、信仰に光を感じる。何かあれば「なぜ自分だけ」と思う心の貧しさに気づき、謙虚でありたいと思いながらも傲慢さが出る未熟さを認められるようになる。そこから更に踏み込んで説いたのが本作である。哲学的、知識的に神を認めることはできても、その存在を信じるというのは中々難しい。移ろいやすく間違いやすい人間の心に、何時もブレずに正しき道を照らす炎を灯すのが信仰なら、私も神の存在を信じられるようになりたい。2015/08/08
きゃんたか
37
「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」というお馴染みの言葉。筆者が感じたものと同様、私もかつては絵に描いたようなこの種の「奴隷道徳」が嫌いだった。彼女はこの言葉を一人の恩師を交えて回想しているが、彼は「横綱は受けて立つ」を地で行く、胆の据わった人物だったそうだ。これを読んで得心した。真の強さは誰かに対する仇討ちにも怒りに駆られた激情にも存在しない。強さとは深い祈りの内に醸成された、何物にも動じない心の平安なのだ。筆者がかつて愛する人から受け継いだ財産をこのような形で私もまた受けたことに、無上の幸いを思う。2017/12/01
たつや
37
完全にはまったかもしれません。ここ数日、毎日読んでいます。そして、謙虚になれますようにと、祈っています。2016/08/31
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- 和書
- 男声合唱曲「樹」