内容説明
’74年12月、田中角栄首相が金脈問題で退陣した。このころ司馬遼太郎は『播磨灘物語』『翔ぶが如く』などを刊行。また「列島改造論」に象徴されるように国中が「民族をあげて不動産屋になった」状況に危機感を抱き、手作りの対談集『土地と日本人』をまとめる。この巻は、日本作家代表団の一員として戦後初訪問した中国の印象記や、田中角栄の功罪を論じた「一つの錬金機構の潰え」など67篇を収録。
目次
薩摩坊津まで
「鬼の詩」を(第71回直木三十五賞選評)
書いたころの気持
友人の旅の話
人と作品―とくに花岡大学の風韻について
善通寺のクスノキ
あとがき(文庫版『十一番目の志士』)
草創期の人格(星新一著『祖父・小金井良精の記』)
ある会津人のこと
古本を読む意外さ―ある「太平洋戦争への道」〔ほか〕
著者等紹介
司馬遼太郎[シバリョウタロウ]
1923‐1996。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を一新する話題作を続々と発表。’66年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞を受賞したのを始め、数々の賞を受賞。’93(平成5)年には文化勲章を受章。“司馬史観”と呼ばれる自在で明晰な歴史の見方が絶大な信頼をあつめるなか、’71年開始の『街道をゆく』などの連載半ばにして急逝
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
カピバラKS
56
●昭和49年〜昭和51年(50歳〜53歳)のエッセイ。司馬は跳ぶが如くを書き上げ、日本はロッキード事件の頃である。●司馬はこの事件を「一つの錬金機構の潰え」で触れ、逮捕された田中角栄前首相の功罪を考察する。●「霍去病の墓」では、中国漢王朝の天才武将霍去病について、薄情な将軍だったのに兵卒から人気があった理由を探る。司馬は、霍去病が戦争上手だったから兵卒達が付き従ったとは捉えていない。その上で、仕事のデキがそこそこの上司はどうやって部下の心服を得るのかという難問に答えを見出している。悩める上司は必見だ。2023/12/13
優希
46
田中角栄の問題が起こった頃になります、『播磨灘物語』や『飛ぶが如く』などが刊行されたと同時に、国の状況に危機を感じたことで、手作りの対談集『土地と日本人』も刊行しています。日本作家代表として声をあげたと言っても良いですね。2023/03/25
Tomoichi
24
1974年(昭和49年)10月から1976年(昭和51年)9月に発表されたエッセイ。約50年前に書かれているので今からすると支那に対する見方やその他についても多少違和感のあるものもあるが、当時の時代や人がどういう風に考えていたかの記録でもあるので面白い。2024/05/05
ロマンチッカーnao
19
根来衆のこと。京都のこと。空海の風景のあとがきなど、死司馬さんのエッセイ盛りだくさん。正月休みの寝る前に読み始めるとやめれなくて、読破。読んだことあるものもないものあるけど、やはり面白かった。一日中ずっと読んでました。2023/01/01
時代
12
『司馬遼太郎が考えたこと』シリーズ第8巻。色々な媒体に書いたエッセイなどを時系列順に。昭和49年10月から昭和51年9月まで。「播磨灘物語」「空海の風景」「飛ぶが如く」の頃。荒木村重という変なひと。◯2021/05/25