内容説明
日本は高度経済成長時代を迎え、東京オリンピック開催に向けて国中が沸き立っていた。新聞社を辞め、職業作家として独立した司馬遼太郎は、『新選組血風録』『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』など、旺盛な創作活動を開始する。第2巻は、これら初期傑作の執筆余話のほか、「若い者は悪いか」「戦車と文明」等の時代と文明に関する論評、後年では稀となった身辺雑記など119篇を収録。
目次
「有間皇子」をみる
亡霊の抽象画
関ヶ原は生きている
作者のことば(「魔女の時間」連載予告)
無題(夜具の広告頁)
戦国拝金伝
歴史を変えた黄金の城
狸と泥棒
須磨
京の亡霊〔ほか〕
著者等紹介
司馬遼太郎[シバリョウタロウ]
1923‐1996。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を一新する話題作を続々と発表。’66年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞を受賞したのを始め、数々の賞を受賞。’93(平成5)年には文化勲章を受章。“司馬史観”とよばれる自在で明晰な歴史の見方が絶大な信頼をあつめるなか、’71年開始の『街道をゆく』などの連載半ばにして急逝。享年72
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感想・レビュー
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優希
48
司馬さんは職業作家になったのですね。ヒット作品を生み出したのも40歳前後というのですから驚きです。旺盛な作家活動がここにはあります。2023/03/14
kawa
31
司馬先生のテーマは歴史の中に現れる男の魅力を描くことの由。「新選組血風録」「竜馬がゆく」等、傑作歴史小説を連発しはじめる頃の周辺エッセイ。「亡霊の抽象画」は実話なのだろうけれど、一種の美術ミステリーとして秀逸。柄にもない晩年のたぬきおやじ振りとの家康評価。萩の旅館で「一隅を照らす」お種さん。微笑まし、珍し「私の愛妻記」等が面白くて印象的。2022/11/26
ピンガペンギン
23
司馬氏は「自分の詩情に気持ちの良い京都・奈良に住んだら小説が書けなくなる。でも息苦しくなるので京都・奈良に週一度は通う」とのこと。たまたま古地図を見ていたら、住所のアパートが土佐藩の大阪蔵屋敷のあとだったという。そばの停留所の名前が白髪橋。材木を伐採していた白髪山からきているのか。(白髪山は徳島の人が大切にしている剣山の近く)環境というか場所から感じ取るものって大きいと思う。自分の祖先が討ち取った相手方の命日に回向するという話があって、印象にのこった(1961)。2025/03/15
Tomoichi
19
1961年から1964年にかけてのエッセイ。この頃に新聞社を辞め職業作家・司馬遼太郎になる。だんだん自分が知っている司馬遼太郎の文章やテーマになってくるが、身辺雑記的なものもありまだ半分福田定一です。2023/09/11
時代
16
『司馬遼太郎が考えたこと』シリーズ第2巻。色々な媒体に書いたエッセイなどを時系列順に。昭和36年10月から昭和39年10月まで。「竜馬がゆく」「燃えよ剣」執筆中。「月刊神戸っ子」で神戸の事を色々と。西長堀のマンモスアパート時代で、まだ下小坂に居を移す前◯2021/02/24