出版社内容情報
なぜ父と母は別れたのか。なぜあのとき、自分は母と一緒に住むと勇気を持って言えなかったのか。理由は何であれ、私が母を見捨てた事実には変わりはない――。完成しながらも手元に遺され、2020年に発見された表題作「影に対して」。破戒した神父と、人々に踏まれながらも、その足の下から人間をみつめている踏絵の基督を重ねる「影法師」など遠藤文学の鍵となる「母」を描いた傑作六編を収録。
内容説明
なぜ父と母は別れたのか。なぜあのとき、自分は母と一緒に住むと勇気を持って言えなかったのか。理由は何であれ、私が母を見捨てた事実には変わりはない―。完成しながらも手元に残され、2020年に発見された表題作「影に対して」。破戒した神父と、人々に踏まれながらも、その足の下から人間をみつめている踏絵の基督を重ねる「影法師」など遠藤文学の鍵となる「母」を描いた傑作六編を収録。
著者等紹介
遠藤周作[エンドウシュウサク]
1923‐1996。東京生れ。幼年期を旧満州大連で過ごし、神戸に帰国後、12歳でカトリックの洗礼を受ける。慶応大学仏文科卒。フランス留学を経て、1955(昭和30)年「白い人」で芥川賞を受賞。一貫して日本の精神風土とキリスト教の問題を追究する一方、ユーモア作品、歴史小説も多数ある。’95(平成7)年、文化勲章受章(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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優希
52
周作先生の父、母への想いが伝わってくるようでした。その軸にはやはりキリストへの想いがあるのでしょう。2023/06/27
優希
44
再読です。6編からなる短編集です。どの短編も「母」がキーワードになっているように思います。それは周作先生の髪への想いでもあり、母がいなかったらクリスチャンになることもなかったでしょう。周作先生の原点と言っても良いと思います。2023/11/23
活字の旅遊人
32
全6作の短編集。サブタイトルの通り、母の話題で統一されている。最後『還りなん』以外は似た背景設定。大連の暮らし、両親の不和、母子家庭生活、洗礼、その後に再婚した父との暮らし。それぞれに含まれる寂しさとそこから生まれざるを得ない諦めと強さ。母を追う精神は、神が応えてくれないというあのテーマと同じなのかなあと感じた。母が芸術を追求して子どもを見ない(と子どもに感じさせてしまう)という件だが、現代では芸術のような分野に限らず「仕事」でそれをやってるケースが増えているだろう。「仕事」が「スマホ」になってるかも?2023/11/04
taraimo
26
完璧主義で個性的な母と穏やかで人並みの幸せを望む父、そんな確執の狭間で悩む息子の勝呂に著者自身の体験を重ねたように思います。勝呂の孤独な気持ちを支える犬のエピソードで、家族や周囲の同意を得られずに懐いた犬を幾度か手放すシーンが気になり、今日の人と犬の関係性からは遠い時代背景を感じなから読了。犬の哀しい眼が反芻します。左官屋で酷い目に遭う犬を良かれと思い連れ出したのに、元の主人のもとへ還ってしまう忠実な犬、嫌悪感を抱きながらも父に似ていく自身の宿命など、それぞれの背負う十字架に葛藤が見られました。 2024/06/28
ホシ
21
苛烈なまでに「本当の人生」を生きる母が描かれた6作品。もちろん、これら作品のモチーフは遠藤の母・郁。作品からは遠藤の複雑な、というよりは屈折的な母への愛が窺えます。「あたたかさ」といった言葉とは対称的な母の姿に少年・遠藤周作のみならず周りの親族らも困惑します。しかしそれでも、遠藤の胸には母が、いわゆる「母」として大きく存在し、周りの人々が母を蔑むことに抵抗します。江藤淳氏は『沈黙』に示されたイエスは母であると評じたそうですが、私は本作を読んで遠藤はイエスに彼自身を重ねたのではないかという思いを持ちました。2023/07/30