内容説明
いかなる場合でも脱出路を計算に入れた周到な計画のもとに単独行動する文太郎が初めてパーティを組んだのは昭和11年の厳冬であった。家庭をもって山行きをやめようとしていた彼は友人の願いを入れるが、無謀な計画にひきずられ、吹雪の北鎌尾根に消息を断つ。日本登山界に不滅の足跡を遺した文太郎の生涯を通じ“なぜ山に登るのか”の問いに鋭く迫った山岳小説屈指の力作である。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
kaoru
104
冬山単独行の記録を塗り替えて名声を得た文太郎は、登山界の嫉妬にも苦しめられるが黙々とそれに耐えつつ山に登り続ける。冬山でディーゼルエンジンの改良を思いつき当時としては異例な技師にまで出世した彼は故郷の美しい娘花子を妻に迎え、人間的にも大きく成長した。一人娘の誕生とともに家庭を大事にしようと誓う彼を、失恋で自暴自棄となった後輩の登山家宮村が北鎌尾根への登山を持ちかける。宮村への責任からパーティを組むことを了承した文太郎に悲劇が待ち受けていた。無謀な宮村の計画に文太郎が引きずられる様は迫真的で読むのが→2021/11/13
ケイ
88
結婚してたった一年で、子どもが生まれたばかりだと言うのに。一人が二人になると調子が狂うのだろうか。最後のところは新田さんの想像で書かれたのだろうが、宮村にばかり責任があるような事を書かれたら、この人の家族はたまらないだろうなと余談ながら思った。加藤の最期は残念だが、果たして生きて戻っていても、早晩戦争に行くことになっっていたのかもしれない。2014/07/10
雪風のねこ@(=´ω`=)
83
堅物山男が結婚して性格がガラリと変わってしまうのは身に覚えがあるハナシで、あるよなぁと思いつつ。結末が判っていても、山に行くなぁああああと思ってしまう(苦笑)どうしても宮村の非を責めてしまうんだけど、このあたりは著者の創作部分でしょうね。実際はそうではなかったかと思う。宮村が倒れ、加藤が最後の独行を再開したところ、著者が描きたかったんだろうなぁと思う。結婚式会場に山から登場!は流石にやりすぎだと思ったけどありえなくなないだろうなと思いつつ。読了後、やっぱり上巻の導入部を読んでしまいますよね…。2022/04/24
扉のこちら側
83
2016年124冊め。他者と交わらないことで孤高を保っていた加藤だが、結婚を機に人間味が出てきた。それは歓迎すべきことだったはずなのに、なんだかそのせいで一流の座から落ちてしまったような印象を持ってしまう。うまく行かないのが目に見えているようなパーティーに、否を出せなかった、出せなくなってしまった、その心の変わりようにもう少し迫ってみたい。本人の著書はいずれ読もう。2016/02/27
まふ
71
主人公は末期から昭大正和初期の大登山家。その性格が山男らしさの結晶みたいな素朴、朴訥、内気、社交嫌い、思いやり深さ、優しい、口下手、一本気、そして隔絶した体力の持主ということであった。このため新婚で長女が生まれたばかりで槍ヶ岳にて遭難死する。それをその心理状況の細部に亘って描写する。山男の心を正しくとらえた名作だ。2020/01/22
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