内容説明
ある朝、突然自分の名前を喪失してしまった男。以来彼は慣習に塗り固められた現実での存在権を失った。自らの帰属すべき場所を持たぬ彼の眼には、現実が奇怪な不条理の塊とうつる。他人との接触に支障を来たし、マネキン人形やラクダに奇妙な愛情を抱く。そして…。独特の寓意とユーモアで、孤独な人間の実存的体験を描き、その底に価値逆転の方向を探った芥川賞受賞の野心作。
著者等紹介
安部公房[アベコウボウ]
1924‐1993。東京生れ。東京大学医学部卒。1951(昭和26)年「壁」で芥川賞を受賞。’62年に発表した『砂の女』は読売文学賞を受賞したほか、フランスでは最優秀外国文学賞を受賞。その他、戯曲「友達」で谷崎潤一郎賞、『緑色のストッキング』で読売文学賞を受賞するなど、受賞多数。’73年より演劇集団「安部公房スタジオ」を結成、独自の演劇活動でも知られる。海外での評価も極めて高く、’92(平成4)年にはアメリカ芸術科学アカデミー名誉会員に。’93年急性心不全で急逝(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 2件/全2件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
439
再読。カフカの不安でもなく、カミュの不条理ともまた違う一種ユーモラスな語りの中に、自己のアイデンティティ、他者との関係性がゆらいでゆくのが、まさしく安部公房の世界なのだろう。これらの作品群が、50年の時を経ても、まったく古びることがないのは、発表当時はそれほどまでに斬新だったことともに、普遍性をも併せもっていたからなのだろう。2012/03/26
青乃108号
284
「砂の女」は2度読んだし俺は好きな作品だ。しかしその他の作品にはなかなか手が出せずにいたのだが、安部公房作品は「砂の女」から入れば後は読みやすい、と何処かで聞いたので、ほんじゃ。と軽い気持ちで読み始めたのが本作である。これがとんでもなかった。確かに読みにくくはない。しかしだ。過激にシュールで、且つまたその表現が的確過ぎて、安部公房の思考がそのままダイレクトに脳内に再現されて完全に作品世界に取り込まれてしまい、あわや発狂寸前の状態に陥る。凄すぎる。これは危険だ。覚悟を持って読むべき作品である。2025/04/22
パトラッシュ
281
1951年の発表時に読んだ人は、明治以来の近現代日本文学の積み重ねを無視した文体とテーマと物語を提示した小説に衝撃を受けたのでは。予断なしで読むとバカらしさの彫琢とも感じられるが、今読み直すとソ連占領時の満州から命からがら引き揚げた安部公房の私小説ではと思えてしまう。名を隠して逃亡し、逮捕されたら法に基づかぬ裁判で処断される大混乱時の体験があるのではと。名前を奪われ現実から追放される男は、後に『砂の女』や『燃えつきた地図』でも繰り返し追求される。社会体制への不信という根源的テーマを描いた寓話ではないのか。2020/10/26
遥かなる想い
278
私たちが高校生だったころ、小説家では誰が好きと問われた時に「安部公房」とか「大江健三郎」と答えると「すごい」という雰囲気が確かにあった。神様のような存在で批判することは許されなかった。突然、自分の名前を紛失した男。以来、彼は他人との接触に支障をきし、人形やラクダに奇妙な友情を抱く。独特の寓意にみちた野心作。芥川賞を受賞2010/06/20
ehirano1
261
S・カルマ氏の犯罪について。クセのある世界観にドはまりしてしまいました。否が応でもカフカの「変身」が思い浮かび、不条理にS・カルマ氏がどう対応していくかがとても興味深いです。心を見つめていくと「壁」になる、つまり「壁=人間の仮設(ヒポテーゼ)」とのことですが、まだ腹落ちしないので要再読といったところです。2023/06/10