内容説明
惨殺された父母の仇を討つ―しかし、ときは明治時代。美風として賞賛された敵討は、一転して殺人罪とされるようになっていた…新時代を迎えた日本人の複雑な心情を描く「最後の仇討」。父と伯父を殺した男は、権勢を誇る幕臣の手先として暗躍していた…幕末の政争が交錯する探索行を緊迫した筆致で綴る「敵討」。歴史の流れに翻弄された敵討の人間模様を丹念に描く二篇を収録。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
yoshida
113
敵討。自分の父親等の尊属を非もなく殺害された場合、遺族が殺害した相手を討つ。歴史小説等を読んでいると目にする。敵討が認められていた江戸時代で、どのように成されたか興味深く読む。敵討をする場合は藩に届出し仇を探す旅に出る。日本中に情報が流される訳でもなく、情報も限られ目的を遂げることは非常に困難。敵討が成されねば藩に帰参も出来ない。次第に落魄し町人に身を落とすこともあった。敵討をしても相手の遺族に遺恨は残る。現代は法治国家であり司法に委ねる。だが、江戸時代も現代も遺族の苦しみは変わらぬ。考えさせられる作品。2021/01/30
ケンイチミズバ
105
父親の首は賊に持ち去られ、のちに庭に投げ込まれた。母親は巻き添えで惨殺され、幼い妹まで傷を負う。少年の目に焼き付いた惨状、硬く心に誓った仇討ち、その気持ちは痛いほど分かる。明治初期までは親の仇を討つことは美談であり一般にも当たり前なことでした。しかし、仇討ちにかける人生の過酷さはとても美談とは言い難いです。幕府側と攘夷派が互いを目の敵とし、藩の勢力争いも絡む抗争に巻き込まれ、ただの人殺しが正当化されてしまう。無能な藩主のもとで起きた不公平で理不尽な裁きで治まるはずがない。武家のなんたる悲劇となんたる事実。2021/01/06
やま
69
幕末の敵討ちと、明治初期の敵討ちについて、全く違う対応がされた事件として読みました。敵討ちは、美風とされ一族、藩をあげて応援した。天保九年(1838)に伊予松山藩において藩士の熊倉伝十郎24才の叔父・熊倉伝兵衛が、剣の遣い手の本庄茂平次に斬られて亡くなり。敵討ちに赴いていた父・伝之丞も茂平次に斬られて亡くなった。伝十郎は、32才のおりにやっと敵の茂平次にめぐりあい敵を討つことが出来た。藩をあげて称えられ藩に戻ることが出来た。→2022/11/24
クリママ
55
表題作含む2編の中編。江戸末期から明治にかけての仇討ち。当時の時代背景にも触れながら、硬質な文章で淡々とその事実を追いうことで、本懐の成否にかかわらず、敵を追う者の悲惨さが胸に迫る。多くの作品を読みたい本に登録しているものの、未読だった吉村昭作品。この本が1冊目となった。これからじっくり読み進めていきたい。2022/09/22
ともくん
54
敵討は、美風である。 親族を殺された者の怒り、憎しみは犯人にしか向けられない。 敵討が成就したら、褒め称えられる。 今では考えられない風潮。 その敵討の緊迫感を、絶え間なく伝える吉村昭の筆にただ読み入るばかり。2021/12/22