出版社内容情報
金も学問も希望もなく、印刷所の版下工としてインクにまみれていた若き日の姿を回想して綴る〈人間松本清張〉の魂の記録である。
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
じいじ
84
自叙伝はあまり読まないのだが、松本清張のこれはすごく面白かった。幼少・青年期の苦労のあれこれが、ボヤキの自叙伝になっていないのです。流石である。幼少期のころは新聞記者になるのが夢だった由。モノを描く仕事は、好きな読書で自信があったのだろう。彼の家庭は、両親の喧嘩が絶えなかったそうだ。親身になって息子を育てたのは母親だった。清張は私小説を好まないので、自身のことを題材にした小説は書いてこなかったらしい。この自叙伝『半生の記』は、もう一度読み返したい一冊です。2024/11/14
キムチ
70
三再読。吉村氏と清張氏だけ、自叙伝は染みる。山行で北九州に降り立つと、山の向こうにボタ山と「新聞社の下働きで走り回っている」図が目に浮かぶ。目だけはキラキラして…。生きんが為に五感と身体を駆使したであろうモノは微に入り細に渡って作品に織り込まれていると思う。場面ごとの会話や周囲の空気、背景になづむ朝焼け夕焼け… 坂口安吾や多喜二と似た温度を抱くのは私だけかも2024/09/03
佐島楓@入院中
57
極貧の少年時代、印刷所に職を得た青年時代、新聞社に勤めた壮年時代・・・。戦争をはさみなおも生活維持に苦しみ続けた清張の筆は、ある種の壮絶さと苦悩ににじんでいる。大変な時代を潜り抜け、学歴的な差別を感じる毎日がのちの作品につながったのだろう。苦労なさった方だとは思っていたが、これほどまでとは知らなかった。2015/09/04
kazuさん
44
1953年、清張が44歳になるまでの自伝小説。感情の起伏は抑えられているが、その歩みは壮絶。父も母も生活の底辺であえぎ、清張自身も同じ運命の道をたどる。広告の版下を書きながら、終戦直後には箒の行商で一家を支えた。1950年、『週刊朝日』の懸賞小説で「西郷札」が三等に入選し、運命の歯車が動き出す。1952年に上京し、翌1953年に『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞する。清張にとって、それはまさに夢のような出来事だったに違いない。簡潔な文体で綴られた作品だが、深い余韻を残す物語であり、一気に読み終えた。2025/10/18
つちのこ
43
「大器晩成」という言葉は清張のためにある。学歴偏重社会は今も昔も変わらないが、家族を養うため底辺を這いずり、長年にわたり苦汁をなめ続けた清張だからこそ、社会の矛盾を鋭くえぐる反骨精神が築かれたといえる。弱者に寄り添い、悪を憎む正義感が根底にある清張文学の礎は、その半生にあったことが理解できた。戦後の混乱期に新聞社の版下描きと箒の行商を掛け持ちする中で、古代遺跡や史跡に頻繁に立ち寄り、事実を目で確かめていくフィールドワークが、後年の史観に生きたことが伺える。凡人にはマネができない生き方。凄いというほかない。2025/07/08




