内容説明
恋愛と性欲、それらと宗教との相克の問題についての親鸞とその息子善鸞、弟子の唯円の葛藤を軸に、親鸞の法語集『歎異抄』の教えを戯曲化した宗教文学の名作。本書には、青年がどうしても通らなければならない青春の一時期におけるあるゆる問題が、渾然としたまま率直に示されており、発表後一世紀近くを経た今日でも、その衝撃力は失われず、読む者に熱烈な感動を与え続けている。
著者等紹介
倉田百三[クラタヒャクゾウ]
1891‐1943。広島に生れる。1910年旧制第一高等学校に入学するが結核で中退。’17年『歎異抄』の教えを戯曲化した『出家とその弟子』がベストセラーとなり、以後『歌はぬ人』『布施太子の入山』『父の心配』等の宗教文学を多数著した
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
chiru
22
小学生の頃、父親に薦められて読んだ本。たまに読み返します。弟子と遊女の恋を応援してた自分を思い出す。なんで女性はお参りしちゃいけないのっていう理不尽さを感じたのが懐かしい。まだ、仏教に宗派がたくさんあることさえ知らないほど幼い頃ですが、この本を大事にしていました。★52017/10/01
ダイキ
16
ひとの真摯な祈りというものは、何と清く、気高く、麗しく、そして尊いのだろう。しかもそれは、迷いから生まれる。祈りを生む迷いとは、決して祈りと対極に位置するものではない。それらは質を同じくする。即ち、一方は神仏という超越的存在に、一方は自己という深淵の本質に触れ得る純粋さである。真摯な迷いからしか、真摯な祈りは生まれ得ぬのである。善鸞はついに仏を信ずる事は出来なかった。しかし、親鸞は穏やかであった様である。それは、親鸞自身が語っている様に、仏を信ずる事が出来ないという事が善鸞の「業」であり、仏が示された一つ2015/10/08
Sunlight
13
著者26歳の作品とは驚いた。倉田百三が長きにわたり病、しかも精神を病んでいたことは森田療法の本で知っていたので、そのコンテクストをイメージしつつ読めた。全ては祈ることでしか救われないのか?病に苦しむ百三の悲痛な叫びがこだましてくるよう。2017/02/25
銀の鈴
13
親鸞と弟子の唯円が、「人間のねがいと運命と祈り」について、語りあうシーンがとてもいい。信仰に殉じることができない子善鸞の描き方も上手い。若い人に読んでもらいたい作品です。2012/09/09
Hira S
11
登場人物は皆何かに苦しんでいる。親鸞の大きさで周りの人を包み込んでいく。ただ信じ委ね祈りなさい、と。私が泣けた場面が2つ。冒頭、家族を養うためわざと悪く振る舞う父が改心する場面。後半、唯円の恋をよく思っていない大先輩の僧が唯円を赦す場面。完全に父親目線になってる!本当の意味で人を愛するとはどういうことなのか?じっくり向き合って考えたいと思う作品でした。2020/08/20