内容説明
1300年の昔、新しく渡来した信仰をめぐる飛鳥・白鳳の昏迷と苦悩と法悦に満ちた祈りから、やがて天平の光まどかなる開花にいたるまで、三時代にわたる仏教文化の跡をたずねる著者の、大和への旅、斑鳩の里の遍歴の折々に書かれた随想集。傷ついた自我再生の願いをこめた祈りの書として、日本古代の歴史、宗教、美術の道標として、また趣味の旅行記として広く愛読される名著である。
目次
斑鳩宮
法隆寺
中宮寺
法輪寺
薬師寺
唐招提寺
東大寺
新薬師寺
著者等紹介
亀井勝一郎[カメイカツイチロウ]
1907‐1966。函館生れ。東大美学科在学中「新人会」に加わり大学を中退。1928(昭和3)年、三・一五事件で検挙される。保釈後日本プロレタリア作家同盟に所属するが転向して、’35年同人誌「日本浪曼派」を創刊。’43年『大和古寺風物誌』を刊行。戦後は宗教的立場からの文明批評を試み、’50年『現代人の研究』で読売文学賞受賞。’59年から連載を開始した『日本人の精神史研究』で’65年菊池寛賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
獺祭魚の食客@鯨鯢
25
修学旅行で「連れて行かれた」奈良の寺院たち。同じような仏像をいくつも見て、ヨーロッパ旅行で教会見学のはしごをした時と同じような気分でした。拝観したいという気持ちのない中学生に見せても、という気がします。 各作品からは、亀井氏の日本人の信仰の原点を訪ねようとする真心が行間から伝わってきて、作者の寺院や仏像への深い思い入れが感じられます。例えは適切でないかもしれませんが、深田久弥氏が日本百名山の一つひとつを愛着心を持って述懐していたのと似ている気がします。個人的には中宮寺の半伽思惟像のくだりが好きです。2018/06/04
syota
20
仏像は彫刻ではなく仏様、鑑賞するものではなく拝むもの、という姿勢が貫かれている。やや強引とも思える推論や、聖徳太子、聖武天皇に対する手放しの礼賛、文化財保護意識の欠如、日本書紀偏重の歴史観など、現代の感覚からは違和感を覚える箇所も多いが、それにも関わらず味読、熟読したくなる強烈な魅力を有している。古い仏たちへの心からの敬慕と、広く深い教養を生かした真摯な思索、その結果生まれた独創的な見解。難点を承知の上で、座右の書として手元に置いておきたい。特に薬師寺、東大寺に関する記述は秀逸。2015/08/22
いりあ
15
寺や仏像についての記述より、天皇についての記述が多いのが時代なのか、単純に勅願寺が多いからなのか。しかし、仏像は美術品ではなく、仏であって、誰かの思いを通して拝するのがあるべき姿だという著者の考え方からすれば、これも当然の事か。本の中で薬師寺が紹介されているが、著者が現在の復興がなった薬師寺を見たら、どう思うだろうか。2011/08/29
moonanddai
14
気持ちはまだ奈良あたりをうろついているようですW。まあ戦前を中心とした風景なので、仏像の「配置?」なんかも多少違っているいるようですし、法輪寺の三重塔も荒廃、焼失から再建されたりしているようです。ただこれも、筆者曰くの博物館的状況なのかもしれません。まあ歴史観というか歴史解釈そのものはについてはともあれ、「ささやかな発心の至情を以て、また旅人ののびやかな心において、古寺古仏に対したいと思った」というのは心にとめておきたいな、と思います。2019/08/27
モリータ
13
通勤時に青空文庫でパラパラ読む。主に戦前期の奈良の古寺巡礼記。◆①近代人的な教養主義から仏を語り鑑賞するのではなく、②信仰、特に上代日本人(の統治者=聖徳太子や天武帝、聖武帝、光明皇后)の心に沿って仏を観じる、という姿勢に貫かれている。①については著者が自身のそのような心根を反省するものであり(「法隆寺 宝蔵院にて」、コメントで引用)、また美術品と同じように仏を「比較しつつ信仰する人間の信仰を信用出来るだろうか(「斑鳩宮 書簡」)」といった問には私も身につまされた。2018/06/14