内容説明
昭和22年、小林秀雄は上野の名画展で、ゴッホの複製画に衝撃を受け、絵の前でしゃがみ込んでしまう。「巨きな眼」に見据えられ、動けなくなったという。小林はゴッホの絵画作品と弟テオとの手紙を手がかりに彼の魂の内奥深く潜行していく。ゴッホの精神の至純はゴッホ自身を苛み、小林をも呑み込んでいく…。読売文学賞受賞。他に「ゴッホの絵」「私の空想美術館」等6編、カラー図版27点収録。
目次
ゴッホの手紙
ゴッホの墓
ゴッホの病気
私の空想美術館
ゴッホの絵
「ゴッホ書簡全集」
「近代芸術の先駆者」序
著者等紹介
小林秀雄[コバヤシヒデオ]
1902‐1983。東京生れ。東京帝大仏文科卒。1929(昭和4)年、「様々なる意匠」が「改造」誌の懸賞評論二席入選。以後、「アシルと亀の子」はじめ、独創的な批評活動に入り、『私小説論』『ドストエフスキイの生活』等を刊行。戦中は「無常という事」以下、古典に関する随想を手がけ、終戦の翌年「モオツァルト」を発表。’67年、文化勲章受章。連載11年に及ぶ晩年の大作『本居宣長』(’77年刊)で日本文学大賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ハチ
24
カンヴァスに造形されていく情熱的な絵画に対する理解や画家ゴッホの生活、葛藤、思想がこうした書簡によってより深い物になる素晴らしい読書時間を過ごせた。なんて人間くさいんだゴッホ!!手紙にしたためたもう爆発しそうな気持ちをよく読んでいくと、ゴッホはその爆発力の中に、氷のように冷静で理知的な部分が読み取れ、いやむしろ、サイエンティストのような静かな論理が貫通しているのが分かる。こうしたゴッホの全てを抱きしめて批評していく小林秀雄のロマン溢れるゴッホ愛!名作中の名作!あと50年は飽きずに読める!2020/09/02
アムリタ
17
アムステルダムで見たゴッホの自画像を思い出す。彼に見られていると感じ、いたたまれなくなった。小林も向こうに眼があって、私が見られている様だ、と書いている。ゴッホの魂は何らかの理由により外界から護る殻を剥奪され、剥き出しのままだったのでは。通常人は肉体に安住し、人格を自分とすることに疑問を持たない者が多いが彼は違った。それが彼を苦しめ、周囲は狂人、危険人物とみなした。絵を描くことと弟テオに手紙を書くことは彼にとって呼吸のようなものだったのだろう。それもやがて限界が来た。だが彼の悲苦は作品として結晶した。2024/02/23
ひでお
11
小林秀雄さんの文章はその難解さから敬遠していたのですが、本書は、その大半がタイトル通りにゴッホの手紙からの抜粋翻訳となっていて、著者の考えは自分の言葉以上にチョイスした手紙の内容から考えてみよというように受け取れました。ゴッホの絵は幾度となく鑑賞する機会を得ていますが、強烈なインパクトを残すことが少なくありません。同じように手紙にもゴッホの個性が表れているのかと思います。ただ著者の恣意的なチョイスや翻訳もあると思うので、できればゴッホの他の手紙なども読んだうえで、もう少し絵と見比べてみたいと思った次第です2023/02/06
ちゃいみー
9
ゴッホは、心の奥深くで木の幹を、枝を、草を、描いているのではと思っていた。斬新な構図だが、計算だけで描いたのではない、自然を見て、心に留め、まるで自分の言葉で語るかのように筆で表している。小林は手紙から彼の内面に潜り込む。生前に絵が売れなかったのは、ある意味彼自身望んでいたのかもしれない。あまりに誠実で、称賛されるための絵ではなかったのかもしれない。きっと自然と同様、人間に評価されるために存在してはいないのだ。だが絵が売れなければ食べていけない。その事実との葛藤も常に付き纏っただろうと思う。2022/03/06
mikio
8
絵を描くとは、彼に言わせれば、何処から落下してくるか解らぬ狂気に対する避雷針を持とうとする努力であった。無論、雷が避けられるかどうかは彼には疑わしい事であった。だが、万が一、これを避ける事が出来るとすれば、逃避によってではない、出来るだけこれに近づいて、その来襲を直視する、緊張した意識によってであると彼は考えた。彼の傑作はみなこの「目もくらむような」視点の表現であった。静物であれ、風景であれ、実は自画像であった。/このゴッホと呼ばれている奇怪な自己とは何か、その問そのものであった。(P232)2022/08/28