出版社内容情報
盲目の三味線師匠春琴に仕える佐助の愛と献身を描いて谷崎文学の頂点をなす作品。幼い頃から春琴に付添い、彼女にとってなくてはならぬ人間になっていた奉公人の佐助は、後年春琴がその美貌を何者かによって傷つけられるや、彼女の面影を脳裡に永遠に保有するため自ら盲目の世界に入る。単なる被虐趣味をつきぬけて、思考と官能が融合した美の陶酔の世界をくりひろげる。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
813
独特の擬古文の文体で語られ、それが全編にわたって古雅な趣きを与えている。これを読むと、小説の本質は、プロットにはなく「語り」にこそあることがよくわかる。また、春琴と琴台の弦の響きに加えて、鶯や雲雀がモチーフとして用いられ、音の世界を背景としていることも、雅で繊細な感覚を付与しているだろう。人物像の造形も巧みだ。その究極は佐助にあるだろうが、春琴の表現にも一部の隙もない。谷崎の数ある小説群の中でも、究極のマゾヒズムの悦びと美への讃美を描いた点ではやはり屈指の1篇だろう。小説世界に浸りきれる作品だ。2012/11/23
のっち♬
395
春琴と佐助の間に師弟、男女、主従の関係が共存するという設定からして独特。実験的かつ流麗な文体の中にリアルかつグロテスクな後半の描写が際立つ。心理描写や分量・情報量が少なめだが、行間にまで甘美で濃密な谷崎の世界が凝縮されている。現実に目を瞑り、生きている相手を夢でのみ見るというのは、ロマンチックでいかにも著者らしい。「佐助は此の世に生まれてから後にも先にも此の沈黙の数分間程楽しい時を生きたことがなかった」嗜虐と被虐の錯綜の末、お互い盲目になることで到達した官能と美的恍惚の極致には何人も入り込む余地はない。2019/12/27
青乃108号
384
谷崎潤一郎の本を読むのは初めての俺は月に10冊読むべしと自ら掲げた目標を達成するにはこのくらい薄い本を盛り込むと後々楽なのじゃないかと読み始めたのだが初めて読む作者の句読点なく延々続く文体に当初これは戸惑いかつ俺には読めないんじゃないかと半ば諦めかけていたところ読むうちに段々と馴染んで没頭するようになり文豪の作品って流石と感じ入り知らず盲目の春琴に惹かれるうちにあっと言う間に読了してしまいしまったもっと味わって読めば良かったと後悔ひとしきりで未練たらしくページをぺらぺらと捲り返しては春琴に触れ感じ入った。2021/08/03
yoshida
364
没落した豪商、鵙屋家の墓の列に並ぶ、鵙屋琴こと春琴、そして門人の温井佐助の墓。鵙屋家の娘である琴は天性の美貌と舞、音曲、学問の才がある。彼女は幼くして失明。音曲を極め、三味線師匠春琴となる。鵙屋の奉公人の佐助は琴の信を得、幼い頃から身の回りの世話をする。春琴は更に美しく、そして驕慢に成長した。春琴と佐助は子を成すが認めず。両親の薦めもあり二人は居を構える。春琴は弟子をとるが、稽古は過酷で恨みを買う。春琴を事件が襲う。凄絶な師弟愛が佐助にある行動をとらせる。美しい日本語、凄絶な愛情。読み継がれるべき作品。2016/12/11
ビブリッサ
342
耽溺。春琴と佐助には、この言葉が相応しい。他を締め出し二人だけの世界に溺れる。繰り返される短刀で切り苛むような言葉と行動、言われるが儘に嬲られ涙し小鳩を抱くように女の足先を温める姿、全て二人にしか分からぬ符牒で、お互いの性欲を大いに刺激し、周囲にはおよそ理解されない倒錯の高み(否、愛の沼)に飛翔して(沈んで)いくのだ。恋愛の主導権は常に佐助にあり、彼の態度と言葉が触媒となり春琴の加虐性は花開く。一人の男によって、艶めかしく仄白き肌冷たくも甘い吐息を放つ女神が誕生する。その様に読者はただ溜息をもらせばいい。2017/06/21