内容説明
新緑の山あいの温泉で、島村は駒子という美しい娘に出会う。駒子の肌は陶器のように白く、唇はなめらかで、三味線が上手だった。その年の暮れ、彼女に再び会うために、島村は汽車へと乗り込む。すると同じ車両にいた葉子という娘が気になり…。葉子と駒子の間には、あるつながりが隠されていたのだ。徹底した情景描写で日本的な「美」を結晶化させた世界的名作。ノーベル文学賞対象作品。
著者等紹介
川端康成[カワバタヤスナリ]
1899‐1972。1899(明治32)年、大阪生れ。東京帝国大学国文学科卒業。一高時代の1918(大正7)年の秋に初めて伊豆へ旅行。以降約10年間にわたり、毎年伊豆湯ケ島に長期滞在する。菊池寛の了解を得て’21年、第六次「新思潮」を発刊。新感覚派作家として独自の文学を貫いた。’68(昭和43)年ノーベル文学賞受賞。’72年4月16日、逗子の仕事部屋で自死(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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rico
97
「国境の・・・」から始まるあの一節に続く夜汽車の描写。外は闇。曇った窓ガラス。すっと指先でぬぐったところに映り込むまっすぐな女の眼差し。そこに光が通り過ぎていく。息をのむ。ぼんやりと字面を追っていた意識に閃光が走ったような。物書きである島村とひなびた温泉の芸者駒子。年に1度程度の逢瀬。二人の関係に分け入ってくる葉子の存在。一片の共感も寄せ付けない彼らは、物語を紡ぐためではなく、この雪国という完璧な美への捧げものとして存在するような気がする。朱に染まる駒子の肌と雪の白さの対比が、この世界の象徴かもしれない。2023/01/19
molysk
72
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。島村は、美しく凛とした芸者、駒子を雪国の宿に訪ねていた。ふと駒子の身の上を耳にした島村は、幼馴染の男を療養させるため、駒子が芸者に身を落としたことを知る。病の男は島村と汽車で偶々居合わせており、男を車中で看病する娘にも、島村は惹かれるものを感じていた――。無為徒食の妻子ある男に献身する駒子の姿を、川端は「徒労」と書き表して、美しさと分かちがたい悲しさを描き出す。初冬の雪国の情景は、雪の白と山の黒の単調な色彩。駒子の健やかな血色は、雪中の椿のような彩りを添える。2023/12/23
夜長月🌙@新潮部
71
愛ほど生々しいものはないのに清々しい風景画を見ているような心地てす。この愛には執着がありません。哀しみを帯びているとさえいえます。そこにあるのは確かに愛なのですがふちどりがふわふわしています。お互いを想い、心が通じ合っているだけで観念の愛なのかもしれません。2023/07/29
A.T
34
「…ほんとうに人を好きになれるのは、もう女だけなんですから。」と、駒子は少し顔を赤らめてうつ向いた…「今の世の中ではね。」と島村は呟いて、その言葉の空々しいのに冷やっとした…「いつだってそうよ。…あんたそれを知らないの?」好きになるって、そういうことなのか。寄る方のない孤独と引き換えにしか、愛は感じられないのか。そんな時、男は軽薄にならざるを得ない。季節の移り変わりとともに放って置いても命を落とす蛾を、葉子は握りつぶしてしまう。苛立ちの激しさが苦しい。そして、そんな葉子もまた… 。川端康成昭和10年の作。2022/10/30
A.T
29
1926年「伊豆の踊子」、1935年「雪国」、そして同列に1981年の早坂暁「夢千夜日記」倉本聰「北の国から」はある共通の詩情を抱えたドラマかと思う。言うまでもなくそれは、郷愁をかたちにした世界。誰も知らぬうちにひっそりと終わりを迎える欠け替えのない世界に胸が焦がれる。畳の上にのたうち倒れた虫を観察していたように「雪国」の女たちも斃れてゆく。「雪国」を訪れた島村は、駒子や葉子の内心を覗くような素直な言葉も島村自身の心で聞くことができたが、それは必ずしも彼女たちの言葉ではなかったのかもしれない。2022/11/20