出版社内容情報
「開運のための少食論」を解説書き下ろし
高橋源一郎氏推薦「水野南北のメッセージは世界を滅びから救う」
減量のための食事制限でもなく断食健康法でもない。過食・大食をせず、自分の身の程に合った食事の量「腹八分」を守れば、めぐりめぐって「吉」となる──。
江戸時代、そんな“少食・粗食のすすめ”を説いた人物がいる。水野南北──文化文政期に高い人気を誇った観相家だ。その著書『修身録』は、貝原益軒の『養生訓』と並ぶ“食と命の指南書”であり、同書で繰り返し説かれる「食の慎み」と「立身出世」ための少食思想は、過食・飽食の現代にこそ示唆に富む。
「人は天から一生の食を与えられている。これを余計に食べるということは、天に借りを生ずるということだ」
「たとえ天運の人相が悪くとも、当人がその持ち分の食よりも少食で済ませる者は相応の福分を得る」
「本来の天運が良くとも、食を過ごす者であらば、物事に際して障りが出るものだ」
「食あれば命あり。ゆえに少食の者は長寿なのである」
「少しの酒は気の力を増すものだ。血もめぐらせる。しかし多ければいのちを削る」
「立身出世があるかどうか見定めるにはもっとよい方法がある。まず食を減らせ。そしてそれを厳重に定めよ。これを守る者には立身出世があろう」
水野南北自身も、この「少食」を実践していたという。
「わたしは……生涯にわたって米の飯は食わぬこととし、米の形が残るものならば餅も避け、麦の一合五勺をまったく一日の限りの量とし、大の好物の御酒さえ一日一合と定めた。しかしこれはまったく自分の為ではない。世の人の為に食を減じたのだ」
「節食」は「開運」に通ず──その極意を平易な言葉で解説した全編書き下ろし最新刊。
【編集担当からのおすすめ情報】
「水野南北」と言われても、すぐにピンと来る読者は少ないかもしれません。
歴史書どころか、人名辞典などにもほとんど載っていないこの人物は、江戸随一の観相家、人相見だったそうです。
しかし、南北先生の代表作『修身録』は、人相や占いについての本ではありません。むしろ、人相の良し悪しを超え、“食事の量が正しいか否か”“慎みある食事かどうか”で、その後の運命が変わると説いた人物なのです。その根本には、我々が口にする食材はすべて自然由来であり、人は天と地からもたらされる恵みに生かされているという考え方があります。
作家・高橋源一郎さんも注目する南北先生の思想を、ぜひ本書で知ってください。
内容説明
減量のための食事制限でもなく断食療法でもない。「人は天から一生の食を与えられている。これを余計に食べるということは、天に借りを生ずるということだ」「持ち分の食よりも少食で済ませる者は相応の福分を得る」―そんな独自の「少食」思想を説いたのが、江戸随一の観相家・水野南北だった。『養生訓』と並ぶ食と命の指南書『修身録』で説かれるその思想は過食・飽食の現代にこそ示唆に富む。「節食」は「開運」に通ず―その極意を読み解く。
目次
序章 知られざる異才・水野南北(幼名は熊太郎;受け太刀の跡;名人観相師水野南北 ほか)
第1章 南北先生「少食を究める」(いのちと食―人は生まれながらに持ち分の食あるべし;家業と食禄―おのれの食を子孫に遺すべし;武家働人の食―大食もまた許される者あるべし ほか)
第2章 開運の問答「万物の徳を知る」(一粒万倍の思想―ただおのれ一身を慎むべし;富は貧より出づる―貧なくして富なかるべし;薬と獣肉―野菜大食に凶なかるべし ほか)
著者等紹介
若井朝彦[ワカイトモヒコ]
1960年、京都市生まれ。上京に住む。考証と執筆に関しては、慶長以降の上方文化を主とし、水野南北の『修身録』とその思想を研究すること四半世紀をこえる。書誌学・装幀造本については、壽岳文章博士に私淑し出版を実践、後に藪田夏秋からも博士の思考や方法の教えを受けた。俳号は散卜・立立。40年にわたり、宮原一男創始の新日本延命学を学び、これを普段の暮らしの中に活かしている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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