内容説明
切支丹弾圧の拷問に転んだ宣教師フェレイラの墓は、現在東京の谷中にある。戒名は忠庵浄光先生。曹洞宗信徒として閉じた彼の生涯とはどんなものだったのか―。キリスト教への立ち返りを恐れた長崎奉行所は、フェレイラに過酷な人生を強要する。隠れ切支丹を取り締まる目明し忠庵として生きよと。そこにポルトガルから弟子の司祭が上陸して捕らえられる…。はたして、彼が転宗したのは神の不在を疑ったからだけなのか?神を棄てた者に心の平穏はあるのか?人と人がたがいに殺し合い奪い合う現代に、神の救済と信仰のあり方を問う感動の問題作。
著者等紹介
山本音也[ヤマモトオトヤ]
和歌山県出身。1982年「宴会」で中央公論新人賞、2002年に『ひとは化けもん われも化けもん』で松本清張賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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青葉麒麟
2
物凄く読むのに手こずった。2011/10/20
我門隆星
1
タイトルからは内容が解りにくい。なんと、鎖国初期の日本に潜入し、布教を試みた修道士フェレイラ神父のお話。しかも、この人、棄教した挙げ句に、幕府の手先として摘発者になった……。なかなか目の付け所の良い、キッチリしたお話に仕上がっている。2006/10/26
林克也
0
キリスト教は私の脳みそでは受け入れられないと思う。自己中心すぎて理解できない。と、私が思う以上に山本音也は考え、日本人とキリスト教との係わりの問題を捉えている。2006/10/28
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