手塚治虫とトキワ荘

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手塚治虫とトキワ荘

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  • サイズ 46判/ページ数 384p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784087816686
  • NDC分類 726.1
  • Cコード C0095

出版社内容情報

日本のマンガは、このアパートから生まれた。
手塚治虫、藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、石ノ森章太郎、赤塚不二夫
……若き日の巨匠たちが集った聖地・トキワ荘。
日本のマンガ出版史を描き切る決定版評伝。

東京都豊島区椎名町にあった木造二階建てのアパート、トキワ荘。
1950年代、ここに住んだ手塚治虫の後を追うように、
藤子不二雄A、藤子・F・不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫らが居住したことで、
このアパートはマンガ史に残る「聖地」となった。
戦後、日本のマンガ雑誌が、月刊誌から週刊誌へと変貌していく過程で、
トキワ荘に集ったマンガ家たちがたどった運命、
そして、今もトキワ荘が伝説となって語り継がれるのはなぜか。
膨大な資料をもとに、手塚治虫とトキワ荘グループの業績を再構築し、
日本マンガ史を解読する「群像評伝」!

彼らはみな東京以外で生まれ育った。
マンガ家になろうと東京に出てきたとき、どうして同じアパートに住んだのか。
まるで神の見えない手に導かれたかのようだ。
しかし、広い東京で偶然ということはありえない。誰かが、彼らを一箇所に集めたのである。
「マンガの神様」と称された手塚治虫なのか。どこかの雑誌の編集部なのか。
『手塚治虫とトキワ荘』は、この「誰か」を突き止めようということから出発した。
〈「青春と読書」2019年6月号より抜粋〉

●目次
はじめに
序 章 一九四五年八月一五日
第一部 「少年倶楽部」――一九二一~四五年
第二部 赤本マンガと少年雑誌――一九四六~四九年
第一章 手塚治虫、プロデビュー
第二章 『新宝島』と「漫画少年」
第三章 相次ぐ新雑誌の創刊
第三部 「漫画少年」――一九五〇~五五年
第一章 『ジャングル大帝』連載開始
第二章 単行本から月刊誌へ
第三章 手塚治虫に続く者たち
第四章 上京する青年たち
第五章 新漫画党
第六章 「漫画少年」廃刊
第四部 トキワ荘――一九五六~五八年
第一章 マンガの梁山泊
第二章 学年誌戦争
第三章 トキワ荘の悲劇
第五部 週刊誌とテレビ――一九五九~一九六一年
第一章 「サンデー」「マガジン」創刊
第二章 拡散
第三章 卒業
終 章 トキワ荘という伝説
あとがき

●著者プロフィール
中川右介(なかがわ ゆうすけ)
作家、編集者。1960年東京都生まれ。
早稲田大学第二文学部卒業。出版社勤務の後、アルファベータを設立し、2014年まで代表取締役編集長として雑誌「クラシックジャーナル」ほか、音楽家や文学者の評伝や写真集の編集・出版を手掛ける。一方で作家としても活躍。クラシック音楽はもとより、歌舞伎、映画、歌謡曲、マンガなどにも

内容説明

東京都豊島区椎名町にあった木造二階建てのアパート、トキワ荘。1950年代、ここに住んだ手塚治虫の後を追うように、藤子不二雄A、藤子・F・不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫らが居住したことで、このアパートはマンガ史に残る「聖地」となった。戦後、日本のマンガ雑誌が、月刊誌から週刊誌へと変貌していく過程で、トキワ荘に集ったマンガ家たちがたどった運命、そして、今もトキワ荘が伝説となって語り継がれるのはなぜか。膨大な資料をもとに、手塚治虫とトキワ荘グループの業績を再構築し、日本マンガ史を解読する「群像評伝」。

目次

序章 一九四五年八月一五日
第1部 「少年倶楽部」―一九二一~四五年
第2部 赤本マンガと少年雑誌―一九四六~四九年
第3部 「漫画少年」―一九五〇~五五年
第4部 トキワ荘―一九五六~五八年
第5部 週刊誌とテレビ―一九五九~六一年
終章 トキワ荘という伝説

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

きいち

42
主人公はあくまでトキワ荘。手塚をはじめ若い漫画家…まだ職業として成り立つかどうかもわからない状況だ…たち、新しいジャンルを立ち上げようとする編集者や出版人たちが生き、交流し合ってひとつひとつの作品や雑誌を作り上げていく様を、主観ばりばり盛りまくりの自伝や証言を多元的に組み合わせて歴史として成り立たせてゆく。◇江戸の博物学や儒学国学、柳田渋沢はじめ民俗学の草創期、初音ミクとボカロのはじまり、個とか我とかよりも作品や対象が先に立つネットワークが思い起こされる。私たちの文化が持つ伝統。誇らしい。2019/10/22

ぐうぐう

40
手塚治虫の死後、漫画の神様の業績を讃える記事が続いたことで、手塚伝説は一気に浸透していったが、その過剰な神格化に対する批判の声が一部であるのは、とても健全なことだ。その声に耳を傾けつつ、しかし、あえて手塚・トキワ荘神話を再構築しようとする試みが本書の目的だ。トキワ荘をめぐる物語は、手塚以下、住人であった漫画家達、つまりは当事者による自叙伝等で語り尽くされてきた感があり、実際、本書で披露されるエピソードの多くも、それら既刊からの引用に頼ってはいる。(つづく)2019/06/17

gtn

29
新漫画党の中で異彩を放つ森安なおや。世話を焼かせるが憎めないというのが彼への一般的な評だが、「威張っている」と党のリーダー寺田ヒロオの陰口をたたき、それをどこからか耳にした寺田を激怒させている。また、昭和30年、「漫画少年」の学童社が倒産。同誌一本に賭けてきた森安は困窮し、家賃滞納の上、夜逃げ。それを肩代わりした寺田は、彼を党から除名。その後、転職を繰り返し、実質断筆。何十年後かのトキワ荘同窓会にも、肩身が狭く欠席。アリとキリギリスを思い浮かべる。2023/08/09

gtn

26
トキワ荘の住人を始め、関係者の著述を紡ぎ合わせたもの。各著作は主観が強いため、客観的記録に置き直そうとする苦慮が見て取れる。2019/10/16

スプリント

23
トキワ荘伝説の始まりは手塚治虫であることはゆるがない事実ですが、トキワ荘の要石は寺田ヒロオだったんだと再認識しました。出版社や編集者などにも触れているので読み応えあります。2019/11/10

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