内容説明
語り手はアルベルチーヌをパリに伴って行き、二人の同棲生活が始まる。しかしアルベルチーヌを他の女から引き離してしまうと嫉妬は鎮められ、あとには倦怠しか残らない。アルベルチーヌは真実を語らず、語り手は彼女の行状に疑惑の目を注いで、ありとあらゆる可能性を想像してはひとり苦しむ。そんななかで、語り手はヴェルデュラン夫人のパーティに出かけようとして、ごろつきのような若者を従えてやってくるシャルリュス男爵に出会う。
著者等紹介
プルースト,マルセル[プルースト,マルセル][Proust,Marcel]
1871.7.10‐1922.11.18。フランスの作家。パリ近郊オートゥイユに生まれる。若い頃から社交界に出入りする一方で、文学を天職と見なして自分の書くべき主題を模索。いくつかの習作やラスキンの翻訳などを発表した後に、自伝的な小説という形で自分自身の探究を作品化する独自の方法に到達。その生涯のすべてを注ぎ込んだ大作『失われた時を求めて』により、20世紀の文学に世界的な規模で深い影響を与えた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ヴェネツィア
110
「私」のいう「愛」の実態がどうもわからない。「アルベルチーヌを永久にわが家におくというのはプラスになる快楽であるどころか、だれもが順ぐりにこの花咲く乙女を味わうことのできる世界から彼女を引き離したという快楽」と語られるのであり、それは一面で主体性をはなはだしく欠いたものである。これでは、たしかに彼女は「囚われの女」でしかないだろう。あるいは、作家の強烈なまでの自意識と、そして自己の意識に対する徹底した分析がこのように語らせるのだろうか。一方、シャルリュス男爵の眼を覆うばかりの凋落は階級のそれでもあろうか。2013/12/19
ケイ
103
この巻より刊行はプルーストの死後。彼がさらに修正を加えてから出版するつもりであったかどうかわからないが、名前のない語り手の代わりに、作者の名前マルセルと呼ばせているところが何箇所かあったのが気になった。アルベルチーヌの同性愛傾向を疑うあまり、彼は彼女から離れられなくなる。女性を恋人に持つ男性は、彼女の周りにいる男性にも女性にも疑惑を抱き嫉妬に苦しむ。そして、男性を恋人に持つ男性は、恋人の女性関係に苦しめられる。こういうことは、きっとフランス人には日本人の私達よりも理解しやすい状況だと思える。2015/11/14
夜間飛行
67
もう愛していないアルベルチーヌをなぜかくも疑い、拘束しようとするのか…これは、コンブレーで母のキスに執着した少年時の不安を考え合わせないと理解できない。それに語り手は本当に彼女を愛していないのだろうか。愛や嫉妬が間歇的に甦るなら、それも愛と呼ぶべきではないだろうか。だがアルベルチーヌがゴモラの女ならば、彼女への愛はゴールなき競走である。語り手が、《花をつけた茎》のように眠ってしまったアルベルチーヌの傍に横臥しながら軀のそこここに手を置き、《月光を浴びた浜辺》にいるように寝息に聞き入る場面は、美しく哀しい。2016/01/17
s-kozy
65
「手に入らないから欲しくなる」、「嫉妬心に煽られ相手に執着する」、「手に入った途端興味をなくす」。本巻で繰り返される主人公の愛に関しての思考、妄想。「囚われ」ているのはアルベルチーヌではなくて主人公?2017/12/07
SOHSA
33
《購入本》まさに副題のとおり、誰も彼もが囚われているようだ。アルベルチーヌはもちろんのこと語り手もプルースト自身も、そして或いは読者も。本巻はプルーストの死後に発表されたとのことであり、なるほど前巻までとは微妙に語り口が異なる印象がある。例えば今まで語られなかった語り手の名前をマルセルと呼ばせる等。いずれにせよ、相変わらず作者自身の怨念が渦巻いている。偏執的な愛情はやはり愛とは呼べない。互いに嘘で積み上げる生活に希望があるとは思えない。とはいえ、この昏い力に引きずられ、私も次巻へ飲み込まれる。2017/06/14
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