内容説明
発作を起こした祖母が、まるでうら若い娘のような姿で息を引きとる(第三篇2 第一章)。パリのアパルトマンに、以前とくらべて明らかに変化し成熟したアルベルチーヌが、不意に語り手を訪ねて来る。このころ、語り手は夜会でゲルマント公爵夫人と言葉を交したり、また夕食に招かれたりするようになる。こうして、パリの社交界で最も輝かしい存在に近づいた語り手に、華やかだが滑稽で醜い上流社会の人たちの生態が見えてくる(第三篇2 第二章)。
著者等紹介
プルースト,マルセル[プルースト,マルセル][Proust,Marcel]
1871.7.10‐1922.11.18。フランスの作家。パリ近郊オートゥイユに生まれる。若い頃から社交界に出入りする一方で、文学を天職と見なして自分の書くべき主題を模索。いくつかの習作やラスキンの翻訳などを発表した後に、自伝的な小説という形で自分自身の探究を作品化する独自の方法に到達。その生涯のすべてを注ぎ込んだ大作『失われた時を求めて』により、20世紀の文学に世界的な規模で深い影響を与えた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ヴェネツィア
112
「私」はとうとう、当時の社交の中核ともいうべきフォーブール・サン=ジェルマンに出入りするようになる。社交界の話題は、政治、文学や美術をはじめとした芸術全般に及ぶが、なんといっても話題の中心になるのは家系である。ブルジョワ階級の「私」はそのことに疎外感を感じているが、今日的な眼からは、それはあまりにも皮相で馬鹿馬鹿しいものに見える。しかも、そこで重んじられるのは知性よりも才気(エスプリ)なのだ。この世界を「書く」プルーストの執拗さは、彼自身の煩悶にも見えるし、また社交界の凋落寸前の一瞬の煌きにも見える。2013/12/11
ケイ
102
臨終の祖母に付き添う母の描かれ方の淡白さに、語り手が思春期を迎えたとは言え一巻との違いにそっけなく感じる。ステルマリア夫人への想いなど、空想での恋をできる一方、女性としての生々しさを持ち始めたアルベルチーヌには魅力を感じなくなっていて、プルーストの性愛嗜好と無関係とは思えない。憧れていたゲルマント夫人に招かれたサロンの様子が延々と語られるが、時間としては一晩のもの。語り手はそこで貴族であれブルジョワであれ、サロンでの会話や付き合いの虚飾に気付いていく。終盤にスワン登場するも不治の病で先が長くないようだ。2015/10/22
s-kozy
65
この巻は第三篇「ゲルマントの方」の後半部分。祖母の死が描かれ、その後、語り手は社交界の中心地ゲルマント公爵邸での晩餐会に招かれる。当時の一流の貴族たちの間で話題の中心となるのは芸術でも政治でもなく、なんと言っても血統、家系。しかも教養・知識よりも会話の中にいかに才気(エスプリ)を効かせられるかが重視される。中身の薄い空しい社交界の様子がこれでもかと執拗に細かく描かれていた。封建制度の上位に長くいた者の差別意識の強さをうまく表現していたとも言えるだろう。そして、最後にスワン登場。体調がかなりよくないようだ。2016/05/18
夜間飛行
63
ゲルマント邸の晩餐会では主人の号令一下、操り人形のように召使いが動き出す。ルイ14世の宮廷以来、フランスの最上層の人々の間に保存されてきた機械的反応と人を刺す瞬間の才気…これらを冷静に描いた文体の間から物語の皮を破って溢れ出すものがある。テクストが織られる悦び。中で瞠目したのは、ロマネスク建築のように組み上げられた家系図の暗がりに、少ない光を集めて浮かびあがる《貴族の残酷なおてんば娘》ゲルマント公爵夫人の肖像だ。それはアルベルチーヌやジルベルト同様、幻想の花火が消えた闇に現れる美であり、記憶の芸術である。2016/01/03
たーぼー
49
祖母の死の場面にプルーストが自身の母の死を重ねるらしく、筆に瞑想にも似た入魂を見てとれ、フランソワーズの態度同様冷静ではいられなかった。『接吻』直後の死はカラマーゾフの兄弟、ゾシマ長老の死を思い出す。(ゾシマは自ら大地に接吻し息絶えるが。他作品にも似た表現あるかも?)そしてアルベルチーヌ再登場。彼女はもう以前の彼女とは違うが、語り手が彼女へ向ける欲情と妄想の激しさは相変わらず気持ち悪い。でも男の種類も色々なわけだから、これも正直な男の本能の形と了解しようか。そしてここでも重要なことは『接吻』である。続く2015/09/27