出版社内容情報
親友・安井の妻であった御米と一緒になった宗助は、罪悪感から身を潜めるように暮らしていた。安井の消息が届き、心乱れた宗助は、救いを求め禅寺の門をくぐるが…。(解説/関川夏央 鑑賞/姜尚中)
内容説明
明治の東京。崖下の借家でひっそり暮らす宗助とお米夫婦。お米はかつて親友の安井から奪った女性だ。後ろめたさを抱えて、孤独をわけあうように暮らす二人の生活に、叔父の死と不才覚から発した弟の学資問題など、少しずつさざ波が立ち始めた。そしてある日、大家から思いがけず安井の名を聞き、激しく動揺した宗助は、考えあぐねて禅寺の門をくぐる。『三四郎』『それから』に続く三部作の完結編。
著者等紹介
夏目漱石[ナツメソウセキ]
1867~1916。江戸・牛込生まれ。生後すぐ里子に出される。東京帝国大学英文科卒業。1900年から3年、ロンドンに留学。05年『吾輩は猫である』を発表、好評を得る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
旅するランナー
185
夫婦の置かれた状況分析や心理描写が鋭く、今読んでも決して色褪せることはない。人々が孤立化する今読むからこそ、実感を伴ってこの小説を感じられる。主人公は門を通り過ぎても変化できなかったように見える。それが現代の閉塞感に通じているように思えます。さすが、夏目漱石先生。それでも、生きづらい世の中での悪行指示役に御名前を借用するのだけは止めて頂きたい。2024/10/19
mukimi
105
漱石前期三部作の最終。略奪愛を経て好奇心も向上心も失い孤独で平板な日常に浸っていく主人公宗助。世間の賑やかさや過去の自分のような華やかな人種に負い目を感じ生きる宗助はなんとも卑屈だが、罪悪感から自由になるべく仏教の「門」を叩く様は痛々しくもいじらしくもある。弱い人(全ての人に弱みがあるけど)を作者自身の葛藤も透見させながら共感的に描く漱石の良さをしみじみ感じた。後期三部作「こころ」に有名なセリフ「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」があるが、宗助にとって割と残酷な言葉では。その辺も考えつつ後期三部作読もう。2023/03/14
ykmmr (^_^)
52
順番を間違えたものの、無事に「漱石三部作」を読み終える。過去の罪の意識から、何故か『東京の崖下』で、京都の『隠者』のような生活を送るある夫婦。その淡々とした生活の中、それが幸or不幸か模索し、読者にもそれを考えさせられる描き方。「幸」と考える人・「不幸」と考える人が両方いるだろう。そして、仕事をわざわざ休んだのに、10日間開かれなかった円覚寺の『門』そこに立ち、自分の現況を受け入れたのか?三部作の書かれた順番と同じように、各主人公の人生も繋がっていった。2021/08/27
aika
44
「彼らは自業自得で、彼らの未来を塗抹した。」この一文に触れた時に、痛々しく苦しいほどに、友人を裏切って道ならぬ恋にひた走った宗助とお米夫婦の罪と罰の重さを感じました。過ちを犯しながらも慎ましく暮らしてきた夫婦とモラルや倫理を盾にした社会とを隔絶する「門」。彼らは例えどう抗ったとしても、その門の先に行くことも引き返すこともできず、ただ門の前に立ち尽くすことしかできない。彼らに与えられた報いが、本当に苦しい。でもその中にも、夫婦のささやかな幸せがある。前期三部作の最後を飾るのも頷ける作品でした。2015/05/17
まさむ♪ね
44
久々漱石先生の長編。やはり素晴らしい、なにもかも。心揺さぶる美しい情景描写に何度ため息の漏れたことか。決して満たされることのない涸れ井戸のように狭く暗く深い愛で複雑に絡み合ったこの夫婦の絆は何があっても断ち切れることはないのだろう。追いすがる罪の意識から逃れるため、社会、親類、信仰、あらゆる門を精いっぱい叩いても開くことはない。もはや門外に呆然と立ち尽くすことしかできなくても、それでも互いに寄り添い合い、つつましくも生きていく夫婦の愛の力強さよ。季節は巡る、門の外にも春は訪れ、門の内にも冬はやってくる。2015/04/12
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