内容説明
個人、国家、自由、民主、人権、政教分離、そして憲法。自明のこととして普段なに気なく使っているこれらの言葉の持つ本来の意味を考えながら、個人にとって国家とは何か、憲法とは何かを考えていく。あらゆる政治体制が「民主」という名において説明される現代において、「民主主義」という言葉は何も語っておらず、個人が個人として尊重される社会を確立するためには、国家の権力をも制限する立憲主義を再認識して、「憲法」を本気で議論すべきであると著者は説く。
目次
1 今、私たちにとって「戦後」とは何か?
2 国家というものをどう考えるか
3 日本人の法意識
4 民主主義から立憲主義へ―現代ヨーロッパとの比較の中で
5 世界の人権思想とアジア
6 日本国憲法起草をめぐる真実
7 改憲論の問題点
8 自由の基礎としての憲法第九条
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
megumiahuru
30
選挙で勝てば何でもありという言説がまかり通る今日、「民主主義」が必ずしも人権を守らないのだということを痛感しています。 憲法とは、弱者や少数者でも、人間が人間として、個人が個人として大切にされるという「人権」の最後の砦なのですね。本来は国民が国家を縛るためにある憲法を、国家が国民を縛る法に変えようとしている昨今の動きは、人類の遺産である「立憲主義」を破壊するものであるということが、よく分かりました。「今なぜ立憲主義か」-憲法という命綱を自ら手放す愚を犯してはならないと思わされました。2014/02/05
katoyann
18
立憲主義の基本的コンセプトやその歴史について分かりやすく説いた憲法学者の本。立憲主義とは「権力に勝手なことをさせない」(84頁)という説明が分かりやすい。近代社会の人権享有主体は個人であり、個人の権利を保障するのが国家の義務である。逆に言えば、個人の権利を国家が侵害することがないように国家権力を拘束するのが立憲主義であり、憲法の価値観である。フランス、アメリカ、ドイツの例を取り、基本的にどの社会も憲法の核となる部分には手を入れていないという。改憲議論がいかに杜撰であるかを知る意味でも読む価値がある。2023/03/05
coolflat
13
立憲主義とは。具体的には違憲審査制度の事であり、米国が発祥だという。違憲審査制が米国以外に広がるのは、戦後を通して、いずれも独裁制が否定された場所だというのは興味深い。敗戦直後の西ドイツ、イタリア。70年代のスペイン、ポルトガル。冷戦終結後の東欧諸国。韓国でも民主化へ移行する過程で憲法裁判所が作られた。民主主義だけだと、民主の名における独裁になっていく危険性がある。だから民主よりも立憲主義、裁判所による違憲審査が不可欠だという事だ。翻って戦後日本は。日本に憲法裁判所はない。日本に立憲主義は根付いていない。2016/09/09
giant_nobita
5
イギリスやアメリカ、フランス、ドイツの憲法もまた(イギリスは成文憲法ではないが)、その生い立ちに恥ずかしさや後ろめたさがあるという指摘は、加藤典洋の日本国憲法に関する議論への応答として読んで興味深かった。他国の憲法の成立史と比較する視点のない加藤よりは樋口のほうが「アメリカの『正義の戦争』によって『戦争に正義はない』という9条の理念がもたらされた」という日本国憲法の屈折について本質的なものを掴んでいるように思う。2014/03/02
ちあき
5
戦後の憲法学をリードした碩学が、現代日本のねじれた政治状況を立憲主義という立場から再考察する一冊。新聞はそこそこ読んでる、将来は法学部もいいかなと思ってる、でも公民の授業がつまらない――そんな高校生は参考書を手にとるんじゃなく、まずこれを読むべし。「憲法を通して近現代史が学べる講演録」でもあり、事実の連関が意味するものをみごとに解説してくれている。実際読めば現代史の見通しが圧倒的によくなるから(「4つの89年」というとらえ方など眼からウロコ)、世界史選択の諸君や歴史が苦手な大人にもおすすめ。2009/02/26