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世界各地の「水」のそばには、古来の信仰が多く残される。水の活用と安定供給を目指すのなら、流れを把握するための知識と、土木工事などの技術が必要で、かつてのそれは、確かな信仰と結びついていた。自然環境や変化によって、水は流れを変える。それはどこか、人の生活や社会の変遷に似ているようだ。
日本と中国を含む、この共通文化圏には、かつてその知識によって治水を果たし、最初の王になった「禹」という人がいる。この禹が「治水神」として、日本で祀られていた。江戸時代以降が多いのだが、この「禹王信仰」が日本中に存在していた証となる碑が、次々発見されている。
この信仰を日本にもたらしたのは、誰なのだろう。日本列島に人は、海を渡ってしか来ることができない。それゆえ全ての日本人は、渡来人の末裔である。違うのはいつの時代、どこから流れ着いたのか、だけである。六国史の第一、『日本書紀』には多くの渡来人の話がある。天皇家の祖先である「瓊瓊杵尊」も、日本列島に渡来した先人の一人だ。それより時代が下るが、「応神天皇」の頃に、弓月君という人と、約20万人にも及ぶ弓月君の人夫の移住についての記録がある。そして、応神天皇の子である「仁徳天皇」の御代において、記録上初めての大規模な治水がおこなわれていた。
弓月君とその民は、後に「秦氏」という氏族になる。この秦氏の中に、初代天皇である「神武天皇」の御代において、神武天皇を導いたとされる頭八咫烏、『新撰姓氏録』では賀茂建角身命とされる「賀茂氏」の末裔と、ある時代に婚姻関係を結んだ人がいた。突き詰めていけば、人類の祖先は世界のどこかにいた、一人の女性なのだろう。とはいえ、現代に至るまでの過程は、とても複雑だ。その融合の理由や根拠に想いを馳せれば、異なるように見える文化の根の繋がりも、理解できるようになれるかもしれない。
『日本書紀』神代の記録では、天皇家の祖先である「瓊瓊杵尊」の流れとは異なる、「天神」の話が無数にある。神々とその末裔が進んだ道を考え、今も残る信仰と水の関係に想いを馳せながら、日本各地に残されている秦氏伝承が残る地と、水と関わりがある信仰地の旅を進めていく。日本各地に中華文化最初の王である禹が祀られた理由と、古代日本の「治水と利水」を、中國紀行CKRM的視点で考えていこう。
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