置き配的

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  • サイズ 46判/ページ数 240p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784065401378
  • NDC分類 304
  • Cコード C0010

出版社内容情報

コロナ禍以降、社会は置き配的なものとなった――

「紀伊國屋じんぶん大賞2025 読者と選ぶ人文書ベスト30」の1位に輝いた気鋭の批評家が放つ最初にして最高の2020年代社会批評!

群像連載の「言葉と物」を単行本化。酷薄な現代を生き抜くための必読書!

「外出を自粛し、Zoomで会議をし、外ではマスクを着け、ドアの前に荷物が置かれるのに気づくより早く、スマホで通知を受け取る。個々人の環境や選択とはべつに、そのような生活がある種の典型となった社会のなかで、何が抑圧され、何が新たな希望として開かれているのか。そうした観点から、人々のありうべきコミュニケーションのかたちを問うこと、それがこの本のテーマです。(中略)
 つまり、狭義の置き配が「届ける」ということの意味を変えたのだとすれば、置き配的なコミュニケーションにおいては「伝える」ということの意味が変わってしまったのだと言えます。そして現在、もっとも置き配的なコミュニケーションが幅を利かせている場所はSNS、とりわけツイッター(現X)でしょう。保守とリベラル、男性と女性、老人と若者、なんでもいいですが、読者のみなさんもいちどは、彼らの論争は本当に何かを論じ合っているのかと疑問に思ったことがあるのではないでしょうか。
(中略)置き配的な社会を問うことは、書くことの意味を立ち上げなおすことにも直結するはずです。」(本文より)




【目次】

序文                                   
第1回  郵便的、置き配的                        
第2回  出来事からの隔離生活、あるいは戦争の二重否定          
第3回  「たんなるパフォーマンス」とは何か               
第4回  ネットワークはなぜそう呼ばれるか                
第5回  フーコーとドゥルーズの「言葉と物」/青森で石を砂にした話    
第6回  いま、書くことについて                     
第7回  置き配写真論、あるいは「コンテンツ」時代の芸術作品       
第8回  ポジションとアテンション                    
第9回  サイボーグじゃない、君は犬だ、と私は言う            
第10回 私でなくもない者たちの親密圏                  
第11回 暴力的な平等性と創造的な非対称性                
あとがき         

内容説明

コロナ禍以降、社会は置き配的なものとなった―。紀伊國屋じんぶん大賞2025、読者と選ぶ人文書ベスト30、1位。気鋭の批評家が放つ、最初にして最高の2020年代社会批評。群像連載の「言葉と物」を単行本化。酷薄な現代を生き抜くための必読書!

目次

第1回 郵便的、置き配的
第2回 出来事からの隔離生活、あるいは戦争の二重否定
第3回 「たんなるパフォーマンス」とは何か
第4回 ネットワークはなぜそう呼ばれるか
第5回 フーコーとドゥルーズの「言葉と物」/青森で石を砂にした話
第6回 いま、書くことについて
第7回 置き配写真論、あるいは「コンテンツ」時代の芸術作品
第8回 ポジションとアテンション
第9回 サイボーグじゃない、君は犬だ、と私は言う
第10回 私でなくもない者たちの親密圏
第11回 暴力的な平等性と創造的な非対称性

著者等紹介

福尾匠[フクオタクミ]
1992年生まれ。哲学者、批評家。博士(学術)。『非美学―ジル・ドゥルーズの言葉と物』で紀伊國屋じんぶん大賞2025受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

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mtht

5
すんません。何言ってんのか徹頭徹尾よくわからなかったです。導入のエピソードも全く入ってこなかったです。2026/01/06

halow

1
よかった。 まだ一読しただけなので論点を整理しきれていないが、あちらこちらに飛び続ける思考の軌跡を辿る体験自体がとても楽しいものとなった。 著者の言うような、置き配的なコミュニケーションが行われる環境では、常に相手の発言に対してメタ的な言説を張ることでもって攻撃を行う。このため状況論を書く事自体が置き配的な言説空間の不毛さを再生産することになりかねない。だが、本書は特異な構成や思考の蛇行ぶりによって、それを回避しているように思われた。 改めて読み直して全体を俯瞰することで何が見えるのか考えてみたい。2025/12/22

あかみや

1
福尾はSNSにおいては、言うべきことが過密に提供されるような気がしてくるということから、「言うべきことが〈密〉な空間」としている。 その対抗馬として持ち上がる概念が、「言うべきことが〈疎〉である空間」だ。 SNSは大したことがないトピックでも、簡単に政治的・社会的性格へと文脈を組み替えてしまう。 言及し、批判するに値するものであると価値を無理矢理上昇させてしまう。SNSは石ころをはりぼてのダイアモンドに変えてしまう。石を石として見ようとすることは許されないかのように。2025/12/07

わだ りゅうた

0
福尾さん1冊目。 終始興味深い書籍だった。ここで論じられるものは「置き配的」物を届ける行為が、物を置く行為に代替され、事実が写真として送られる。この変換のアナロジーを現在のSNSをはじめ諸々の問いを立て論じられる一冊。 連載を元にしており、村上春樹の「海辺のカフカ」や「世界の終わりと...」のような2パート(原論ともの)の構成になっている。 そこには引用リツイートや東浩紀批評、愛知トリエンナーレ2019、蛙化など多岐にわたる。 SNSのポジショントークではない批評の場を探している一冊2026/01/06

かずま

0
〈疎〉であるとは、余裕を持つこと、ゆったり構えることだと思った。広くとらえすぎているかもしれないけど。「表現が保存された偶然」であり、「社会の話ばかりしている社会がダメになる」のならば、すべきことは、保存され、それを見た誰かがそこから二次的に何かを創造し直す可能性のあるものを作ることだと思った。何か表現しようとするのではなく、自分がのこしたものが表現となる可能性をつくる。2025/12/18

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