出版社内容情報
真の信仰を希求する魂の記録!
死後42年たって新発見された幻の日記
『論考』から『探究』へ―大哲学者が書き残した、自らの思考の大転換、宗教的体験、そして苛烈な内面の劇!
“隠された意味”は何か!?
私の本『論理哲学論考』には素晴らしい真正の箇所と並んで、まがい物の箇所、つまり、言ってみれば私が自分特有のスタイルで空所を埋めた箇所も含まれている。1930.5.16
真の謙虚さとは、1つの宗教的問題である。1930.10.18
私はすべてを自分の虚栄心で汚してしまう。1931.5.6
人は職人の比喩に惑わされているのだ。誰かが靴を造るというのは1つの達成である。しかしいったん(手元にある材料から)造られたなら、靴はしばらくの間は何もしなくても存在し続ける。しかしながら、もし神を創造主と考えるのなら、宇宙の維持は宇宙の創造と同じくらい大きな奇跡であるはずではないのか、1937.2.24――<日記本文より>
『論考』がウィトゲンシュタインにとっての原罪であり、それを克服するためにこそ、この日記が書かれたのだという言葉に、おそらく多くの読者が驚き、いぶかしがられることと思う。――<訳者解説「隠された意味へ」より>
*本書の原本『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記 1930-1932/1936-1937』は、
2005年に小社より刊行されました。
【目次】
はじめに
編者序
編集ノート
謝辞
凡例
第一部 一九三〇ー一九三二
第二部 一九三六ー一九三七
コメンタール
コメンタールで使用された参考文献と略号
人名索引
隠された意味へ ウィトゲンシュタイン『哲学宗教日記』(MS183)訳者解説)
訳者あとがき
訳者あとがき補遺(学術文庫化にあたって)
内容説明
「私はすべてを自分の虚栄心で汚してしまう」「『論理哲学論考』には素晴らしい真正の箇所と並んで、まがい物の箇所…も含まれている」。死後、発見された日記には、芸術、倫理、宗教=「語りえぬもの」の領域についての省察、そして内的な苦悩が赤裸々に書かれていた。『論考』のあとの「沈黙」から、『探究』へと向かう大哲学者の魂の軌跡を読み解く。
目次
第一部 一九三〇‐一九三二
第二部 一九三六‐一九三七
コメンタール
著者等紹介
ウィトゲンシュタイン,ルートヴィッヒ[ウィトゲンシュタイン,ルートヴィッヒ] [Wittgenstein,Ludwig]
1889年ウィーン生まれ。1912年、23歳にして、論理学を哲学的に研究するため、ケンブリッジ大学のB・ラッセルのもとを訪ねる。以来、1951年に死去するまで、その生涯を哲学的思考に捧げた
鬼界彰夫[キカイアキオ]
1954年生まれ。筑波大学名誉教授。京都大学文学部、同大学院修士課程修了。Ph.D.(City University of New York)。専攻は、言語哲学、ウィトゲンシュタイン研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
特盛
Ex libris 毒餃子
双海(ふたみ)
Go Extreme