出版社内容情報
1867(慶応3)年、パリ万国博覧会が開催された。日本が初めて参加した国際博覧会であり、幕府は徳川慶喜の弟である昭武を公使として派遣した。使節団には幕臣となっていた渋沢栄一が随行。帰国後、渋沢は、外国奉行支配調役として同行した杉村譲(愛蔵)とともに、全6巻の詳細な渡欧記録をまとめ、1871年(明治4)に刊行した。
この記録には、フランスの繁栄を誇ったパリ万国博での見聞のほか、ナポレオン3世やイタリアのヴィットリオ・エマヌエレ2世、オランダ国王ウィレム3世ら欧州要人たちと徳川昭武の謁見、産業革命のただなかにあったイギリスの工業化や、政治・経済のシステムへの驚きなどが、生々しく描写されている。
従来、この日記は、渋沢の単著として扱われてきたが、近年の研究により、旅の前半を幕臣として同行し、後に明治政府の官僚となった杉村譲の日記と渋沢の日記から編纂・執筆されたものであることがわかってきた。こうした旧幕臣の体験と知識が、その後の近代化に大きく生かされたのである。
文庫化にあたっては、『世界ノンフィクション全集14』(筑摩書房、1962年)所収の大江志乃夫現代語訳を原本とし、「付録」として、一行の帰国の事情と帰国後の動向を記した、渋沢栄一談/小貫修一郎編著『渋沢栄一自叙伝』(渋沢翁頌徳会、1937年刊)の13章1節から4節までを収録した。
内容説明
一八六七年、パリ万国博覧会に派遣された将軍徳川慶喜の弟・昭武に随行した、渋沢と杉浦による旅の記録。植民地化するアジア、パリの壮観な凱旋門、ナポレオン三世や各国の国王への謁見、一万人が働くベルギーの製鉄所、イギリスの銀行での厳密な貨幣製造と、新聞社の精巧な印刷機。彼らの好奇心が、近代日本経済の扉を開いていく。
目次
第1章 上海から香港へ
第2章 インド洋を航して紅海へ
第3章 スエズをこえてパリに入る
第4章 パリ宮廷の社交
第5章 ロシア皇帝狙撃事件
第6章 パリ万国博覧会を見る
第7章 博覧会の褒賞式
第8章 博覧会における日本の評判
第9章 スイスおよびオランダを見る
第10章 ベルギーおよびイタリーを見る
第11章 マルタ島を巡歴
第12章 イギリス巡歴の旅
付録 『渋沢栄一自叙伝』より 王政復古と帰朝
著者等紹介
渋沢栄一[シブサワエイイチ]
1840年、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市)生まれ。家業の藍玉製造に携わり、論語も学ぶ。京都で一橋慶喜に仕え、1867年慶喜の実弟昭武のパリ万博視察に随行。帰国後、静岡藩、明治政府を経て経済人として第一国立銀行など約500の企業に関与。1931年没
杉浦譲[スギウラユズル]
1835年、甲斐国(現在の山梨県)生まれの幕臣。通称は愛蔵。甲府勤番士ののち、江戸で外国奉行支配書物出役となる。1863年と67年に渡欧。維新後は明治政府に出仕し、郵便制度の確立などに努め、郵便切手の創始者として知られる。1877年没
大江志乃夫[オオエシノブ]
1928年、大分県生まれ。専門は日本近現代史。東京教育大学教授、茨城大学教授を務めた。2009年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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