講談社現代新書<br> “私”を取り戻す哲学

個数:
電子版価格
¥1,023
  • 電子版あり

講談社現代新書
“私”を取り戻す哲学

  • 提携先に6冊在庫がございます。(2025年06月20日 01時53分現在)
    通常、5~7日程度で出荷されます。
    ※納期遅延や、在庫切れで解約させていただく場合もございます。
    ※1回のご注文は10冊までとなります
  • 出荷予定日とご注意事項
    ※上記を必ずご確認ください

    【出荷予定日】
    通常、5~7日程度で出荷されます。

    【ご注意事項】 ※必ずお読みください
    ◆在庫数は刻々と変動しており、ご注文手続き中に減ることもございます。
    ◆在庫数以上の数量をご注文の場合には、超過した分はお取り寄せとなり日数がかかります。入手できないこともございます。
    ◆事情により出荷が遅れる場合がございます。
    ◆お届け日のご指定は承っておりません。
    ◆「帯」はお付けできない場合がございます。
    ◆画像の表紙や帯等は実物とは異なる場合があります。
    ◆特に表記のない限り特典はありません。
    ◆別冊解答などの付属品はお付けできない場合がございます。
  • ●3Dセキュア導入とクレジットカードによるお支払いについて
    ●店舗受取サービス(送料無料)もご利用いただけます。
    ご注文ステップ「お届け先情報設定」にてお受け取り店をご指定ください。尚、受取店舗限定の特典はお付けできません。詳細はこちら
  • サイズ 新書判/ページ数 256p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784065343883
  • NDC分類 104
  • Cコード C0210

出版社内容情報

電車の中や部屋の中、気が付けばいつもスマホをスクロールしている。本当は何が知りたいのか、自分に何が必要なのかわからないままSNSの世界に浸り続け、気が付けば自分自身を見失ってしまった――。
スマホ時代の過剰な繋がりによって失われた〈私〉を私たちはどうやって取り戻すのか。気鋭の哲学者による現代を生き抜くための思考法!

【本書の主な内容】
第1章 デフォルトの〈私〉
――――動物になるか、善い人になるか
・ミニオンズの憂鬱
・パッケージ化された善に警戒せよ
・目を閉じて、〈私〉の声を聴く

第2章 〈私〉を取り戻すための哲学的思考
・「新デカルト主義」宣言
・判断しなくてよいという判断
・批判的思考のプロトタイプ

第3章 ポスト・トゥルースを終わらせる
・SNSを気にする学生
・「正しさをめぐる争い」は終わりにする
・陰謀論は理性と情動に訴える

第4章  ネガティブなものを引き受ける
・対話とネガティブ・ケイパビリティ
・アルゴリズムと自己消費
・「弱いロボット」から考える

内容説明

なぜスマホを見続けてしまうのか。何を見たいのか、何が本当に必要なのかわからなくなっているあなたへ―。気鋭の哲学者が明かす「生きづらさ」への処方箋。

目次

第1章 デフォルトの“私”―動物になるか、善い人になるか(“私”―他の誰でもないこの“私”;「常時接続」と“私”の不在 ほか)
第2章 “私”を取り戻すための哲学的思考(「新デカルト主義」宣言;人間は世界を正しく見ることができるのか ほか)
第3章 ポスト・トゥルースを終わらせる(SNSを気にする学生;私なら先の投稿をどう考えるのか ほか)
第4章 ネガティブなものを引き受ける(確信成立の条件の変容;「迷い」について―対象確信の蓋然性 ほか)

著者等紹介

岩内章太郎[イワウチショウタロウ]
1987年、札幌生まれ。豊橋技術科学大学准教授。早稲田大学国際教養学部卒業、同大大学院国際コミュニケーション研究科博士後期課程修了。博士(国際コミュニケーション学)。早稲田大学国際教養学部助手などを経て現職。専門は現象学を中心にした哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

樋口佳之

53
すべてを「人それぞれ」で済ませていては、暴力に対抗できない。逆に、「善への意志」を闇雲に押し出すだけでは、全体主義の危険…前者は、他者に対して寛容だが、それは共に生きていくための共通の枠組みをつくれない。後者は、善のパッケージを示しはするが、他者に対して不寛容であり、そのパッケージに共感しない者を蔑み、攻撃性…/87年生まれ、お若い。この世代の世界観を学べました。一点。暗黒面に堕ちず「善のパッケージ」を自らへのベクトルで生きる諸先輩もいたよね、そういう世界への向き合い方も可能だよねって書き残したいです。2024/02/27

踊る猫

35
難解なところはあるが、ぼくなりに拾ったところによるとどのようにして「退屈」と向き合うか。言い換えれば、その「退屈」を感じてしまう「私」という実存を乗りこなすかが語られていると受け取る。下手をするとネットが無限に繰り出す情報の渦に呑み込まれて「私」をなくしかねない状況でどうやってその「私」を取り戻すか。前半の難易度の高さにひるまず読み進めれば、後半からグッとアクチュアリティを増した考察にワクワクしてくるはずだ。ぼく自身、この不透明性が増した時代において本書で「私」の輪郭を捉え直すことを学び直せたように思える2024/01/06

buuupuuu

23
現代では、退屈を根底として、動物的な欲求充足へ向かうか、他者からの安易な承認を求めて祭りや炎上へと参入していくような傾向があり、それによって相対主義や独断主義が蔓延することになる。SNSは消費を目的とした空間であり、それらの欲望が無限に繰り返される場所になってしまっている。著者の言う新デカルト主義とは、自分自身がともかく世界を受け止めているという事実の認識と、どうしてそのように受け止めているのかについての反省とから成ると言えるだろう。これによって、安易さへの抵抗と普遍への志向がもたらされるとしている。2024/02/29

kazi

22
目次をパラパラしたときに目に飛び込んできた、「第1章 デフォルトの〈私〉――――動物になるか、善い人になるか ミニオンズの憂鬱」という項目がどんな内容なのか気になりすぎて思わず購入してしまいました。タイトルの印象からライト層向けの軽い内容の読み物を想像していたのだが、ガッツリ哲学・現代思想だった。正直自分がどこまで理解できたか危うい。本当に日本人は"終わりなき日常"に退屈しているのか?私も周りの人も"やりたいこと""やらなければいけないこと"に追い立てられて、暇つぶしに中毒する余裕なんてないのだが・・・。2025/02/25

chie

20
哲学が面白いと初めて思えた。構築主義と呼ばれる、「人それぞれ」を認める思想の課題は、暴力まで認めてしまうことにあるという。「正しさをめぐる争い」を終わりにする方法として著者は、新デカルト主義という態度を提案する。「〈私〉の認識の絶対性と有限性を自覚することで、他の〈私〉が同じ条件に立たされていることを理解し、〈私〉が〈私〉を尊重していく。新デカルト主義の核心にあるのは、まさしく思考の原理と世界への態度である。」そしてこの「〈私〉の有限性」こそが〈私〉を取り戻すための糸口となりうると説く。要再読 2024/02/12

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/21695421
  • ご注意事項

    ご注意
    リンク先のウェブサイトは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」のページで、紀伊國屋書店のウェブサイトではなく、紀伊國屋書店の管理下にはないものです。
    この告知で掲載しているウェブサイトのアドレスについては、当ページ作成時点のものです。ウェブサイトのアドレスについては廃止や変更されることがあります。
    最新のアドレスについては、お客様ご自身でご確認ください。
    リンク先のウェブサイトについては、「株式会社ブックウォーカー」にご確認ください。

最近チェックした商品