出版社内容情報
日常は哲学的な問いに満ちている――日常的観点からは当然のように思われることでも、哲学の歴史をひもとけば、これをめぐって多くの紛糾した議論がなされてきた。
何の変哲もない代わり映えしない風景。昨日も今日も変わらない出来事の繰り返し。それらを見て聞いて普段通りと感じる〈私〉の繰り返し。私たちの日常は、日々繰り返している物の知覚と出来事の理解から成り立っている。
本書は、このように私たちの日常の秩序を支える純然たる物としての物の知覚と、物の世界での出来事の理解を、哲学史にでてくる概念や専門用語を使わず、日常の言葉で哲学的に省察する。世界の見え方を刷新する画期的論考。
*『知覚する私・理解する私』(勁草書房、1993年)を改題・増補して文庫化。
[主な内容]
はしがき
第一章 知覚における対象性成立の論理
第二章 知覚的質と本当に在るもの
第三章 因果的理解と行為
第四章 法則の概念と出来事の始まり
本文の哲学史的背景についての注解
注
あとがき
学術文庫版あとがき
内容説明
“私”が物を知覚し、出来事を理解するとはどういうことだろうか?何気ない日常が成立する仕組みを平易かつ明晰な言葉で鮮やかに描き出し、その先に法則の概念を優位においてきた西洋近代の認識論を覆す。日常的観点からは当たり前だと思えることに、哲学が格闘してきた数々の問題を解決するヒントが隠されていることを示す。知的発見に誘う書!
目次
第1章 知覚における対象性成立の論理(無為の時間と知覚;見えるものとその広がりの規定 ほか)
第2章 知覚的質と本当に在るもの(知覚されているものの広がりと物の広がり;物とその性質 ほか)
第3章 因果的理解と行為(因果性と法則性ないし規則性;行為の分析 ほか)
第4章 法則の概念と出来事の始まり(法則概念の優位という思想状況;反復される出来事の理解)
著者等紹介
松永澄夫[マツナガスミオ]
1947年生まれ。哲学者。東京大学名誉教授。専門は、フランス哲学・言語論・社会哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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