Nの廻廊―ある友をめぐるきれぎれの回想

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Nの廻廊―ある友をめぐるきれぎれの回想

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  • サイズ 46判/ページ数 264p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784065306932
  • NDC分類 916
  • Cコード C0095

出版社内容情報

「蒸気機関車は六輛ほどの車輌を率いながら走っている。僕とすすむさんは最後尾の客車のデッキに立ちながら、木製の扉の前に身を寄せていた。通勤の大人たち数人がやはりデッキに立っていて、新聞を読んだり、タバコの煙を吐きだしたりしている。/誰も口をきかず、列車の揺れに身を任せていた。」

昭和27年春、札幌の中学に通うため汽車に乗った二人の少年は、30年余を経たのちに再会します。ひとりは気鋭のノンフィクション作家になり、ひとりは学生運動の闘士から経済学者、さらには保守的思想家へと転じていました。

再会してから30年、突然の別れがやってきます。すすむさん=Nが自裁したのです。

「斎場の隅にいる私たちのところに近づいてきたのは、Nの兄のMさんであった。/ああそういえばもう六十年以上も会っていない。しかしその面差しは依然として柔らかく、そして人を包みこむようであった。外套を脱ぐなり、握手を求めてきて、私の顔を見るなりその穏和な顔に涙が流れるのを隠そうとしなかった。私も涙が止まらなくなった。/「十三歳のときからの友だちだったんだからね……」/Mさんの言葉に、私のなかで耐えていたものが一気に爆発した。/私は人目も憚らず涙を流しつづけた。そして二人でふたたび棺に近づき、蓋を開けてもらい、その顔を見つめつづけた。いっしょに見ていると、表情は動き出しそうで、目を細めて口を尖らせて、吃音気味に話すあのころに戻ったように感じられた。私はMさんと札幌の、白石と厚別の思い出話を、Nに聞こえるように、なんどもくりかえすように話しつづけた。私はNが亡くなったとの報に接してから初めて、悲嘆という感情に触れた。」

あのときのすすむさん=Nの眼に映じていたものはなんだったのか……。不意にいくつかの光景がきれぎれに甦り、その呟きを心耳にふたたび聞いた著者はさながら廻廊を経めぐるように思いを深め、60年の歳月を往還しながら友の内実に触れるべく筆を進めていくのです

内容説明

昭和二十七年春、札幌の中学に通うため汽車に乗った二人の少年は、三十年余を経たのちに再会する。ひとりは気鋭のノンフィクション作家になり、ひとりは学生運動の闘士から経済学者、さらには保守的思想家へと転じていた。それからまた三十年、突然の別れがやってくる…。

著者等紹介

保阪正康[ホサカマサヤス]
1939(昭和14)年、北海道生まれ。現代史研究家、ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒業。1972年、『死なう団事件』で作家デビュー。2004年、個人誌「昭和史講座」の刊行など、一貫した昭和史研究の仕事により菊池寛賞を受賞。2017年、『ナショナリズムの昭和』(幻戯書房)で和辻哲郎文化賞を受賞。近現代史の実証的研究をつづけ、これまで約4000人から証言を得ている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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踊る猫

40
なぜ「N」と名前を隠すのか解せなかったのだけれど、ぼくなりの解釈を語るならどうしたって実名を明かすと(まさに本書に登場するさまざまな乱暴な読者のように)彼の最期や彼の『朝生』でのパフォーマンスに目が行った「大文字の」ノンフィクションとして読まれかねないからではないだろうかと思った。そうした読みを拒む、もっと「小文字の」友情の形を記した交遊録としてささやかに読まれたいというスタンスをぼくは感じる(それでいて、彼に対する畏敬の念を忘れない「背筋が伸びる」1冊とも思った)。そのスタンスにこそぼくは畏敬の念を抱く2023/11/12

ピンガペンギン

22
Nとは西部邁氏。北海道で13歳と14歳の頃からの近い友人だった著者が思春期と西部さんが東大教授を辞めて評論、テレビなどで活躍したものの多摩川で自裁する晩年までの時間を行ったり来たりする回想の記録だ。著者は昭和史の専門家で西部さんと思想的にかなり違うが、ルールを決めて気持ちよく付き合えるようにしていたという。一人称が僕なので若い人が語っていると錯覚しそうだが、発表は80歳を過ぎてからで、どうしても書かないといけない書だったと思われる。特に二人が汽車で越境通学をしていた思い出が繰り返し語られる。2023/05/29

ほんままこと

13
筆者とN(西部邁)は13歳の時から汽車で一緒に越境通学をする関係という意外性がこの本のインパクトだ。これを読むと人間は子供の頃からその本性が決定されていて、それがその後の人生を決めるということを感じる。その子供がその後出会った歴史的、社会的状況に、その人の本性が反応して行動が生じるのだ。社会の方により多くの欺瞞を見出すうちにNは孤立し、同志であった妻の死によって自死に向かった。保阪氏は友情によってNの、人生を生きることの痛ましさを見出し、哀悼を捧げていると思う。西部邁の文体、文章はかねてより好きだった。2024/01/19

金北山の麓に生まれ育って

3
【ファン必読】自身の孤影が対象と重なっている良い評伝だった。奥さん死亡時に著者の奥様が「自殺」を予言、奥様が先に早世のくだりは壮絶、Nの兄と唐牛の縁は未見。吉本の無様なでも自然な死に様を私は肯定し西部江藤はそれは好まない、無理にイキがってて実は空っぽじゃない?無論その心の闇の大きさにその最期を受入れざるを得ないですがしかし、最期まで背伸びしてる嘘はないか?著者の描く様々なNにはそういう面も描かれてる。福田恒存から嫌われと推測する狂熱さや藤井聡や松原隆一郎が指摘する根無し草の保守主義者という指摘を思い出す。2024/09/16

NAGISAN

3
著者は、中学時代の越境通学で行動を共にし、N(西部邁)氏から大いに影響を受け、成人して以降も心の友というべき関係を保つ間柄で、それだからこそ書けた書。マスコミの営業に利用されていると分かっていながらも演じ、「ありきたりの批判」に激高し、現実に向き合う姿勢の確立を訴えたN氏。後年、編集者など交流の人々を若手に代え、自身の人生を一変させ、育成に切り替えた。N氏の死は自殺ほう助に注目されたが「自裁死」としての評価は少ない。個人的に『ソシオ・エコノミックス』に影響を受けたが、その他の言論も読みたいと思わせられた。2023/06/23

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