出版社内容情報
望月 雅士[モチヅキ マサシ]
著・文・その他
内容説明
いまだ謎多き存在。創設から廃止まですべてを描く。
目次
第1章 枢密院の形成一八八八~一九一一(枢密院の誕生;枢密院の始動と最初の改革 ほか)
第2章 デモクラシーのなかの枢密院一九一二~一九二三(「枢密院問題」の浮上;第一次世界大戦期の枢密院 ほか)
第3章 枢密院と政党政治一九二四~一九三六(救済か、憲法の論理か;政党内閣との対立 ほか)
第4章 戦争と枢密院一九三七~一九四七(日中戦争と枢密院;枢密院のジレンマ ほか)
著者等紹介
望月雅士[モチズキマサシ]
1965年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。現在、早稲田大学教育学部非常勤講師。専門は日本近代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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trazom
107
枢密院と、天皇、政府、衆議院、貴族院との関係さえ、ちゃんと理解してなかった自分が恥ずかしい。伊藤博文の創設から新憲法での廃止までの60年間が詳細に描かれている。確かに、この組織の出自は民主的ではない。でも、治安維持法を批判し、満州事変や太平洋戦争に反対意見を表明(しかも天皇の前で)した組織の意義は大きいのではないか。戦後、新聞は、民主主義に逆行するとして枢密院廃止を訴えるが、戦争を賛美し国威発揚に加担した新聞社と枢密院なら、私は後者を信じる。民意に迎合することが民主主義と言うなら、それは間違いだろうが…。2022/08/04
パトラッシュ
102
天皇の政治顧問としての役割を期待された枢密院だが、やがて政党内閣の時代には枢密院自体が保守派の牙城と化して権力闘争に加わり、政治を混乱させる要因となった。226以降は軍部のテロに怯えて暴走を追認するばかりで、少なくとも当初はあった政界長老の御意見番というプライドも消え失せた。その体質は太平洋戦争の開戦から敗北に至るまで変わらず、大日本帝国の政治史に何の痕跡も残すことなく新憲法制定と同時に閉院した。結局、枢密院とは政治機構の盲腸に等しい存在であり、今後の歴史研究でも重視されることはないと証明する本になった。2022/07/18
skunk_c
65
明治憲法制定前に設立され、副題のように「奥の院」として政府や議会を牽制してきた組織の60年を、時代ごとの政治状況と結びつけて叙述する。政府にとって非常に扱いの難しい組織であったようで、枢密顧問官の中でも考えが分かれていた様子がうかがえる。キーワードは天皇に責任がかかることにならないようにするということなのだが、そもそも枢密院が天皇の諮詢機関である以上、選挙による衆議院や、憲法にその立ち位置が明示されている内閣と異なり、どうしても天皇に直結しやすい。したがって意見と裏腹に政府に同意というケースもあったとか。2022/08/29
nagoyan
19
優。個人的に「枢密院」に関心を持っていた。本書は、枢密院の60年に及ぶ歴史を紹介する。1887年の政治危機が、伊藤に枢密院の「発明」をさせた。議会と政府が対立した場合に、天皇を政治責任から守るための機関として構想されたが、井上毅はその必要を認めていなかった。立憲国家に例のない枢密院は、政党政治時代に至り、自身が政党内閣と暗闘を繰り広げるようになる。厳格な法解釈を行って内閣に対する抑制と均衡を果たしていた枢密院も戦争の進展に、単に追随するだけに至る。枢密院改革は、結局、廃庁まで果たされなかった。2022/06/23
bapaksejahtera
16
枢密院の歴史を通じ日本近代史を顧みる良書。明治憲法草創期、議会と天皇制との対立を危惧する伊藤博文により憲法に盛り込まれた同院。当初は欽定憲法の意識を有する明治帝の臨席は屡々あったが、伊藤自身の関心は薄れる。だが形骸化した貴族院と比べ、憲法上の権限を盾とする同院は内閣には煩い存在となる。興味深いのは憲法学者として枢密院に批判的だった美濃部達吉の、敗戦直後の枢密院顧問官としての発言。抑々明治憲法改正の要はなく、民主憲法と銘打ちながら勅令によって同院に諮詢される不当。一人占領憲法に反対する学者の良心は痛快である2024/05/07
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