出版社内容情報
GDP4倍の相手に挑み、全国を焼土とし、推計戦没者軍民310万人。戦死者の約6割が病死・餓死だったという。最後通牒とされたハル・ノートをあくまで叩き台に交渉継続し、開戦回避ができれば、米ソ冷戦構造の中、20世紀中盤に重要なプレイヤーとなることも可能だった。最終局面にいたる外交交渉過程には数々の愚策が重なり、冷静で明晰な対応がとられることなく、外交という国際政治の舞台で身動きがとれなくなった遠因を満州事変後リットン調査団の訪日から遡っていく。
日露戦争後まで極めて良好だった日米関係。世論の反発により、南満州鉄道の米資本との共同経営が頓挫して以降、アメリカは日本を仮想敵国とみなしていく。日本の北進を恐れたソ連による外交的駆け引き、国際防諜活動が活発化、日中戦争の泥沼化により、軍指導部は南進策を選び、結果、開戦に踏み切ることになる。多くの国民も大陸進出や開戦の熱に浮かされ、戦時体制に進んで協力し、世論が開戦への最大の圧力ともなった。一億総玉砕を叫び、市民と兵士、英霊の膨大な犠牲のうえに立って我々は一体何を望んだのだろう。【戦後75年書下ろし】
内容説明
二二六事件以降、陸軍は統制派が主流となり全体主義に傾斜し、海軍にも条約派と艦隊派のせめぎあいがあった。日米交渉の最大の足枷となった日独伊三国軍事同盟を捨て去れずに、負けること必定であった戦争に突入することになる。短絡的に軍部の暴走と言われてきた開戦までの経緯を外交を縦軸に明らかにする。
目次
第1部 震源は満州―リットン報告書から 一九三二~一九四〇年(一九三二年(昭和七) 満州国建国とリットン調査
一九三三年(昭和八) 痛恨の国際連盟脱退
一九三四年(昭和九) 束の間の平穏
一九三五年(昭和十) 石原莞爾と甘粕正彦
一九三六年(昭和十一) 岸信介の来満
一九三七年(昭和十二) 七月日華事変勃発
一九三八年(昭和十三) 泥沼に引き込まれた日中戦争
一九三九年(昭和十四) 風雲急を告げる欧州と虎視眈々たる米国
一九四〇年(昭和十五) 九月運命の三国同盟締結
一九四〇年(昭和十五) 忍び寄る赤い恐怖)
第2部 日米開戦前夜―ハル・ノートへ 一九四一年(一九四一年 松岡、岸、吉田茂の動向;一九四一年 茨の道の日米交渉;一九四一年四月 ハル四原則をもちだす;一九四一年夏 戦争へのカウントダウン;一九四一年 最後の賭け 日米首脳会談;一九四一年十一月二十六日 ハル・ノート手交)
著者等紹介
太田尚樹[オオタナオキ]
1941年、東京都生まれ。東海大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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