内容説明
人が人にさわる/ふれるとき、そこにはどんな交流が生まれるのか。介助、教育、スポーツ、看取りなどさまざまな関わりの場面で、コミュニケーションは情報伝達の領域を超えて相互的に豊かに深まる。ときに侵襲的、一方向的な「さわる」から、意志や衝動の確認、共鳴・信頼を生み出す沃野への通路となる「ふれる」へ。相手を知るために伸ばされる手は、表面から内部へと浸透しつつ、相手との境界、自分の輪郭を曖昧にし、新たな関係を呼び覚ます。目ではなく触覚がひらく、人間同士の関係の創造的可能性とは。
目次
第1章 倫理
第2章 触覚
第3章 信頼
第4章 コミュニケーション
第5章 共鳴
第6章 不埒な手
著者等紹介
伊藤亜紗[イトウアサ]
東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長、リベラルアーツ研究教育院准教授。専門は美学、現代アート。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
けんとまん1007
116
「さわる」と「ふれる」をメインに、その違いについての考察が素晴らしく、興味深い。確かに、書かれているとおり、似て非なるもののように思う。ここのありようが違うと思うし、その距離感の違いが大きい。五感の中の触覚のありよう。その中でも、手が占める意味合いの大きさ。ブラインドランナーの事例が、わかりやすく伝わるものが大きかった。人間の奥深さを感じた。「ふれる」は「ふれあい」に通じるのは、なるほどと。2020/12/17
アキ
96
手の歴史とは触覚がもたらす昔の記憶。人にさわるとは信頼がなければ不埒になる。道徳を相対化する不道徳性。ケアの現場では状況の複雑さに向き合い、ふれるという創造的な倫理が求められる。西洋哲学では視覚や聴覚に比べ触覚は劣った感覚とされる。触覚を距離ゼロ、持続性、対称性の3つのポイントから考える。それは対象の内部にはいりこむもの。さわるは伝達、ふれるは生成モードのコミュニケーション。目の見えない人と伴走者間のロープを介する共鳴の言葉の不要な一体感。手拭いを使っての柔道観戦。人間同士の関係の新たな視点を触覚がひらく2021/03/09
どんぐり
91
目の見えない人や、どもる人など障害者の身体論をテーマに研究している著者の本。今回は「さわる/ふれる」触覚を取り上げ、手をとおした人間関係を論じている。「さわる」が一方的で、「ふれる」が相互的関係。介護や看護の現場で働く人であれば、「さわる/ふれる」身体的接触なくしては成立しないが、ふつうの人が生身の人間にさわる/ふれる機会は、そう多くはない。→2021/03/12
ネギっ子gen
78
【一方向的な「さわる」から、共鳴・信頼の通路となる「ふれる」へ】「touth」の日本語訳は「さわる」と「ふれる」だが、微妙にニュアンスが異なる。「逆鱗にふれる」とか「神経にさわる」とかいう表現。触覚の最大のポイントは、それが親密さにも、暴力にも通じているということ。触感は触り方次第なのか。<触覚を担うのは手だけではありませんが、人間関係という意味で主要な役割を果たすのはやはり手です。さまざまな場面における手の働きに注目しながら、そこにある触覚ならではの関わりのかたちを明らかにする>。これが本書のテーマ。⇒2022/11/27
おたま
65
著者の『体の居場所をつくる』に続いて読んだ。伊藤亜紗は、常に理念・観念よりもフィジカルな方を探索している。だから(観念の先行する)「道徳」よりも(状況による)「倫理」を重視している。また、視覚よりも触覚を重視している。それは、より人間の存在の根源的な在り方に近い所で、「倫理」を構想しようとしているからだろう。さらに触覚を代表している「手」についても、「さわる」という能動的な動きよりも、「ふれる」という能動と受動が不分明になる場を探る。ここから「伝達」と「生成」とを区分けしていく。⇒2026/04/03
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