内容説明
八九四年「遣唐使廃止」と言われるが、その後も列島を取り巻く大海原をたくましく乗り越え、「外」と日本を繋ぎ続ける人たちがいた―。莫大な利を求め海を闊歩する海商たちと、最新の知識を求めて大陸へ渡る僧侶たち。九~十七世紀にわたり史料に遺された彼らの足跡から海域交流の実相に迫り、歴史世界としての東シナ海を生き生きと描き出す意欲作。
目次
序章 中世日本と東シナ海
第1章 「遣唐使以後」へ
第2章 古代から中世へ
第3章 大陸へ殺到する僧たち
第4章 「遣明使の時代」へ
補章 遣明使の後に続いたもの
著者等紹介
榎本渉[エノモトワタル]
1974年、青森県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位修得退学。東京大学東洋文化研究所助手を経て、国際日本文化研究センター准教授。博士(文学)。専攻は日本中世史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
MUNEKAZ
15
894年の遣唐使停止から明初までを中心に、東シナ海を舞台とした海域史。遣唐使の停止で大陸との交流が一切途絶えたわけでもなければ、倭寇が跋扈する混乱期に入ったのでもない。海商たちの活躍と国家統制の緩和により、それまで以上に日本と海外との交流があったことを描いている。著者は中国に渡った多くの日本僧たちに注目することで、この従来あまり注目されることの少なかった豊かな海外交流の歴史を紹介しており、興味深い点が多い。元寇や明の海禁政策に翻弄されながらも、留学への情熱を失わなかった僧侶たちの姿は眩しいものがある。2021/03/17
nagoyan
11
優。日中関係史を渡唐・宋・元・明僧らの記録から復元。遣唐使の間隔が30年となっても、遣唐使船に乗らず唐に残った円仁。実は既に新羅海商による日羅唐のルートがあった。新羅政変に伴い新羅ルートに代わって東シナ海ルート。唐海商活躍へ。遣唐使後も日本朝廷は対外交通を大宰府で管理。財政難が国家管理を空洞化(成尋の密航)。渡宋のブームに。元時代、軍事的緊張により一時往来が減少するもの大勢は貿易の振興と自由な往来。明の政治情勢により状況は一変。渡来僧の時代に。キリスト教布教も「渡来僧」の一つ。意外に旺盛な対外交流。2020/10/31
qwer0987
7
歴史にはいろいろな側面や切り口があると教えてくれる。東シナ海の通航を巡る歴史なのだが、知らないことばかりだった。むかしの僧侶たちは大陸の仏教文化に憧れ多く海を渡ったようだ。遣唐使廃止後も僧は渡海していたことや、そんな時代でもある程度中央が制御していた点も驚く。そして海を渡る上では、海商たちの船の存在が大きかったらしい。だけどそれも元寇や洪武帝の政策など当時の政治状況に左右されている。けど密航してでも渡海しようという僧たちもあり、その情熱には脱帽する。多くが見向きもしない周縁部の歴史と魅力を堪能できた次第だ2022/04/29
積読0415
7
「しないことを決めた」ということを、わざわざ覚えさせるのが894年の遣唐使廃止だが、本書はその前の838年の承和度遣唐使をスタートとし、そこからの東シナ海の交流の話が進む。この段階で、昔聞いた「遣唐使が無くなったから日本独自の国風文化が生まれた」式の説明が否定される。昔習った歴史が「更新」されている感覚である。2021/04/08
maqiso
1
9世紀以降、東シナ海を渡って九州と明州をつなぐ商人が増え、多くの僧侶がその船に乗って中国に行った。朝廷は太宰府を通して貿易と入出国を管理していたが、平安末期から密航が行われ、中世には僧侶や商品の往来が増大する。宋は貿易を振興し、元も基本的には往来を認めたが、内陸から起こった明は海禁を行い、東シナ海航路は廃れ琉球が発展した。僧侶の交流も面白いが、貿易の全体像はやはり見えてこない。2021/05/25