出版社内容情報
日本各地には「霊山」と呼ばれる、信仰の対象になっている山が数多くあります。そしてその山を信仰を対象とする、仏教とも神道ともつかない独特の宗教体系が、それぞれの地域で発展してきました。その形態は世界の宗教誌においても非常にユニークな位置を占めています。近年「山ガール」という新語まで誕生したように、日本人の山への愛着には非常に深いものがあります。しかしなぜ、日本人はこんなにも山が好きなのでしょうか、そのルーツはどこにあるのでしょうか? 本書は、日本人と山の「つきあい」の歴史をこれまでにない視点から辿る、ユニークな「山と人との宗教誌」です。
内容説明
日本各地でいまも信仰の対象とされている数多くの山々。日本人と「山」の深いつながりの歴史をひもとく。
目次
序章
第1章 山の宗教の原像
第2章 山の宗教の変質
第3章 山の宗教と中世王権
第4章 山の宗教の裾野のひろがり
第5章 山の宗教の定着と近代化
終章
著者等紹介
菊地大樹[キクチヒロキ]
1968年、東京都生まれ。東京大学大学院人文科学研究科国史学専攻修士課程修了。博士(文学)。現在、東京大学史料編纂所古文書古記録部門准教授。専門は日本中世史・宗教史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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寝落ち6段
16
山には大抵、寺社がある。名峰は言わずもがなだが、私の住んでいる田舎の標高200mほどしかない山にもある。嘗ては信仰の対象であり、現代ではレジャーの一部となっている山とは、人々にとってどのようなものだったのか。時には山の幸の恩恵に与り、時には恐ろしい災害を起こすことで、人々の畏怖が元来あったのだろう。そして、伝来した仏教が、山の機能と溶け込んでいくことで、神仏習合をし、人々の願いを吸収し、寺社や祠を建てる。我々現代人にはほぼ残っていない山への信仰を、見つめなおすことで、自然への畏敬の念も新たにできるだろう。2021/12/04
bapaksejahtera
16
修験道山伏行者をシンボルとして捉える山岳仏教の歴史を追いつつ、今日定説乃至は自然・宗教観に新たな示唆を与えようとする。本書で著者が強く否定するのは、これまで有力な宗教民俗学者が唱えてきた、外来宗教は日本人の基層にある信仰意識によって変換・受容されたとの言説であり、近代になって醸成された「兎追いしあの山」的里山観、オリエンタリズムを根に持つ登山史観である。仏教が土着化する上で山岳仏教の歴史は案外に古く、大乗思想の衆生済度は裾野を生活の場とする土着の神々及びそれに従う民を取り込む神宮寺を生み出す等、興味深い。2021/07/08
chietaro
10
年を跨いで読みました。読むのに時間がかかりました。時代を経て山の修行者が変質していくのですが、頭の中に図を作りながら読みました。藤原定家の熊野詣は面白かったです。中級貴族でもコネクションがないと宿泊できないことに驚きました。熊野詣の歴史、もう少し知りたいと感じました。劒岳点の記は映画で見ていたので、あの素晴らしい映像を思い返しました。2023/01/03
もるーのれ
9
日本での「山の宗教」の通史を論じた1冊。仏教の影響が非常に大きいのが分かる。主たる舞台として裾野に注目し、そこに立地する寺院を「山林寺院」としている点が斬新で、当初から山頂が対象だった訳ではなかったのが驚きであった。時の権力者や仏教界の趨勢とも無関係でなく、熊野詣をはじめ中世の展開は興味深い。2025/04/28
jackbdc
9
難しめ。専門用語を駆使し慎重に論を運ぶスタイルなので周辺知識が無いと理解が難しいだろう。門外漢の私は多少乱暴でもざっくりと単純化して論じてくれる方が興味も湧くのだが。印象に残った点3つ、1.日常の場:薪や狩猟採集のために裾野に生活のために通っている中で自然に関係が形成されていった。山頂に関心は向かなかった。2.里山寺院:深山で修行する人と麓で暮らす人とを繋ぐ場所として存在した。高麗神社など武士化して政治力増すものもあり。3.修鎮守の森:自然林は伐採してしまって人工林として再生させたものが多いとは意外。2021/01/06
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