内容説明
『全体性と無限』、そして『存在の彼方へ』―哲学史に輝く2冊の主著を完全解読。
目次
第1部 「顔」と形而上学―『全体性と無限』(「顔」―輪郭の描写;「選び」;「同」と「他」;デリダの批判―「暴力と形而上学」;「教え」―倫理と学;「他」の言表―デリダの批判再び)
第2部 方法の先鋭化―『存在の彼方へ』(「他」を語ることの困難―『存在の彼方へ』に向けて;絶対他把握の方法的問題;「感受性」と「語ること」;「顔」から「正義」へ;レヴィナスへの批判と顔の倫理学の可能性)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
令和の殉教者
4
レヴィナスは特異な顔の倫理で知られる思想家である。本書は『全体性と無限』の核心を、「第一哲学としての倫理学(学問は倫理を前提とする)」に見出す。ここで重要なのは、「顔」に二つの規定があることだ。①現象学的道徳的規定では、顔が私に求める無限責任が強調されたが、②形而上学的規定では、いかなる同化にも服さない絶対他の側面が強調された。レヴィナスは後者を重視し、デリダから呈された対象化し得ない絶対他をどのように語るのか、という課題に応えるべく『存在の彼方へ』を著した。これは、形而上学的規定の方法的先鋭化である。2023/02/04
YT
3
批評的にレヴィナスの2冊の主著を読み解いていく入門書。 全体性と無限で提唱した顔の倫理をレヴィナスは投げ捨てたのか?という問いを立て 存在の彼方へ の読解に迫り、懐疑の余地は残るものの 私が無限責任を負うものとして選ばれた、という顔が与える直感を理解する という一貫した主張を提出する。そしてケア倫理の 受容 をもとに他者への関わりの具体像を掘り起こしていく。 無限責任の場としての他者と出会う。ここに倫理が展開される場が現れる。みたいなことなのだろうか... 前提知識無しで読んだが肝は掴めたような...2022/11/05
佐倉惣五郎
0
これを読むと、やはり(本人ははっきり否定しているが)リオタールが指摘していたようにレヴィナスにユダヤ思想家の面が強いことは否めず、あくまで神学的論証に拠らずレヴィナスを理解しようとすれば、どうしても無理が出てきてしまう気がする。だからレヴィナスの哲学的普遍性(≠普遍的対象化的倫理性)を担保するためにも、「強迫」の概念を取り除いた上で、ケアの倫理に絡めて「顔」と「絶対的他性」について論じ直したⅡ部は意義深いと思う。レヴィナス入門書の二、三冊目にぜひ薦めたい良書でした。2024/11/10
saiikitogohu
0
「顔という概念は、事象としてはこのような、私に道徳的対応を求めるものとしての他者の、対面の場での現出だといってよい。…対面の場であることとは、私が相手への倫理的働きかけが可能な場に立っていて、それを求められているということである」19「「悲惨と飢えの理解が他への近さそのものを創設する」。「近さ」とは私が他者の傍にいて相手への責任を感じている」21「倫理原則がまずあって、…そこで感じられる当為感覚は元の原則に由来するという事情ではない…顔の体験の倫理性は体験自体に基礎をもつもの」222021/09/26
-
- 和書
- おばけ、がっこうへいく