講談社選書メチエ<br> 詩としての哲学―ニーチェ・ハイデッガー・ローティ

個数:
電子版価格
¥1,815
  • 電子版あり

講談社選書メチエ
詩としての哲学―ニーチェ・ハイデッガー・ローティ

  • ウェブストアに2冊在庫がございます。(2025年05月08日 16時57分現在)
    通常、ご注文翌日~2日後に出荷されます。
  • 出荷予定日とご注意事項
    ※上記を必ずご確認ください

    【ご注意事項】 ※必ずお読みください
    ◆在庫数は刻々と変動しており、ご注文手続き中に減ることもございます。
    ◆在庫数以上の数量をご注文の場合には、超過した分はお取り寄せとなり日数がかかります。入手できないこともございます。
    ◆事情により出荷が遅れる場合がございます。
    ◆お届け日のご指定は承っておりません。
    ◆「帯」はお付けできない場合がございます。
    ◆画像の表紙や帯等は実物とは異なる場合があります。
    ◆特に表記のない限り特典はありません。
    ◆別冊解答などの付属品はお付けできない場合がございます。
  • ●3Dセキュア導入とクレジットカードによるお支払いについて
    ●店舗受取サービス(送料無料)もご利用いただけます。
    ご注文ステップ「お届け先情報設定」にてお受け取り店をご指定ください。尚、受取店舗限定の特典はお付けできません。詳細はこちら
  • サイズ 46判/ページ数 224p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784065187463
  • NDC分類 130
  • Cコード C0310

出版社内容情報

プラトンによれば、ソクラテスは、「……とは何か」と問うた。「正義とは何か」「美とはなにか」。真理を捉えるための「知性」や「理性」を最も重要な心の働きとする西洋哲学の伝統が、ここから生まれた。
これに対して、本書は、「想像力」を優位におく思想に着目する。イギリスのロマン主義者からはじまって、アメリカのエマーソンに継承され、ニーチェ、ハイデッガー、ローティにつながる系譜である。
真理は定まっていて、「理性」や「知性」は、それをあるがままに捉える能力だとするのが、プラトン的「理性主義」だとすれば、「想像力」とは、新たな見方、捉え方を創造する力である。これをローティは、「詩としての哲学」と呼んだ。
デカルト、カントなど、理性主義の変遷をも検証しつつ、「詩としての哲学」の可能性を問う力作。

内容説明

人間の「理性」「知性」を最も重要な心の働きとする、プラトン以来の西洋哲学における真理探究型の思考。一方、イギリス・ロマン主義から始まり、「想像力」をすべての思考の根本と捉えるエマソン~ニーチェ~ハイデッガー~ローティへの思想の流れ。真理への接近を図る哲学から、開かれた思考を目指す哲学へ、理性主義の系譜を検証し、創造への新たな可能性を探る。

目次

第1部 決別(プラトンとの決別―理性に対する想像力の優位;エマソンとニーチェ―反プラトン主義と新たな円;ハイデッガーの二面性―「思索」と「存在」)
第2部 理由(プラトン的真理観は、どうして機能しないのか―クワイン=デイヴィドソンの言語哲学の観点から;原型的経験論に対する二つの誤解―感覚与件の神話と、ロックに見られる創造的人間観)
第3部 仮説(デカルト―仮説ベースの基礎づけ主義;カント―見せかけの中立性と知の硬直化)
詩としての哲学―桎梏からの解放

著者等紹介

冨田恭彦[トミダヤスヒコ]
1952年、香川県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学。博士(文学)。京都教育大学助教授、ハーバード大学客員研究員、京都大学教授を経て、京都大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ころこ

33
ここでいう「詩」とは、ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』でいう文学と同義です。第2章で紹介されているように、13歳の時に哲学にはまったローティが読んだのがプラトンであり、著者の軌跡と一致している一種の信仰告白になっているのが興味深く読めます。ローティは同時にニーチェも読んでいた。これらを単なる趣味や読書の傾向だととらえてしまうと、本書が何をいっているのか全く理解できないでしょう。(そのアメリカで理性主義的なイデオロギーが台頭してきているというのは更に興味深いですが)そして、ニーチェとエマソンに共通してい2021/03/03

シッダ@涅槃

27
気の抜けた炭酸水のような読後感。大きなテーマの設定はよかったのだが。紙幅の割に小テーマが多岐に渡り、それぞれに軽くかすっただけで、結局像が結ばなかった。なにより、「ニーチェ、ハイデッガー、ローティ」とあるが、彼らについても同じようなもので、特にローティはどんなひとかまるでわからない。もちろんこちらはのリテラシーのなさがこんな感想を生んでいるのだが、ひとつ言えるのは入門の書ではないということである◆アメリカ現代言語哲学の「暗喩」に言語の新たな可能性を観るという部分だけ大変面白く感じられた。2021/03/27

呼戯人

19
私達は象徴としての文化を持ち、その象徴の世界で意味を作り出す。哲学も真理を求め続ける、真理とは何かと問い続けつつ、その活動の中で芸術を作るように哲学を作り出す。そのような人間の活動は、いわゆる客観的実在とはなんの関係もない。詩的想像力こそが私達の文化の根底にあり、それこそが美的現象として実現する哲学の本当の姿だとニーチェは言う。それは、ハイデッガーやローティにも引き継がれ、ニーチェはその考え方をエマソンから受け継いだ。そういう詩としての哲学の系譜を描く好エッセイ。2020/03/15

フリウリ

7
知性・理性重視の西洋哲学本流vs.想像力重視のロマン主義の系譜、真理の対応説vs.真理の整合説などなど、きわめて見通し良好な議論が続き、わかりやすいです。一方で、表題である「詩としての哲学」(ローティ)については、概念(外枠)だけが示されるだけで、内容がよくわかりません。概念の妥当性を主張するためだけに哲学史を講義しなければならないのは、哲学者の宿命かもしれませんが。「詩としての哲学」が示しうるものが何かを知りたいですが、それは詩を読めばわかることなので詩を読みなさい、ということかもしれません。62023/06/10

袖崎いたる

5
再読。デカルトとカントがフルぼっこ。おもにエマソンとニーチェの澪を引いたローティの視点から批判している。再読してみて、ローティが『哲学の脱構築』(だったかな?)のあとがきで哲学者を弁護士に喩えていた理由がニーチェに由来していることを知る。ニーチェさん、哲学史上のお歴々を願望ベースドな意見をこじつけるために理論構築をしてきた〜なんて言っててさ、それで自説を弁護する哲学者たちはみ〜んな弁護士やんけ!って想像したのが、たぶんローティ。デカルトとカントに距離をとりたい人は読んでみるといいかもしんない。2021/01/11

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/15076800
  • ご注意事項

    ご注意
    リンク先のウェブサイトは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」のページで、紀伊國屋書店のウェブサイトではなく、紀伊國屋書店の管理下にはないものです。
    この告知で掲載しているウェブサイトのアドレスについては、当ページ作成時点のものです。ウェブサイトのアドレスについては廃止や変更されることがあります。
    最新のアドレスについては、お客様ご自身でご確認ください。
    リンク先のウェブサイトについては、「株式会社ブックウォーカー」にご確認ください。

最近チェックした商品