講談社学術文庫<br> 世阿弥

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講談社学術文庫
世阿弥

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  • サイズ 文庫判/ページ数 232p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784065181362
  • NDC分類 773.28
  • Cコード C0174

出版社内容情報

現存する最古の演劇といわれる、能楽。
今から約600年前の室町時代に、世阿弥(1363~1443?)は、当時の大衆芸能を芸術へと昇華させ、『井筒』『高砂』『砧』『実盛』『葵上』など今も上演される名作を遺し、『風姿花伝』を始めとする世界初の演劇論を執筆しました。
これほどまでの偉業をなしえたにもかかわらず、肖像画の1枚もない。
世阿弥とは、一体どんな人物だったのでしょうか? なぜこの時期に、これほどまでの仕事をなしえたのか――。
その時代背景や彼の思想哲学を、父・観阿弥や、禅竹、金剛などライバル達との作品比較、伝書から見る芸論などから細やかに考察。
晩年、大衆に拒絶され、自身も佐渡に流された世阿弥の生涯も辿りながら、彼が求めた「老いの美学」についても検証します。

本書は『世阿弥』(1972年 中公新書)より、舞台写真、資料写真を新たに差し替え、解説を加筆、文庫化したものです。

解説「異端者としての世阿弥」 土屋恵一郎(明治大学長)

内容説明

今から約六〇〇年前の室町時代に、能を大成させた世阿弥(一三六三~一四四三?)。大衆芸能を芸術へと昇華させ、『井筒』『高砂』『実盛』などの名作を遺し、世界初とされる演劇論『風姿花伝』を執筆した天才能楽師とは、何者だったのか。その背景と芸論を父・観阿弥との作品比較、二一の伝書から考察。彼が求めた「老いの美学」を探る。

目次

第1章 世阿弥とその時代(猿楽能の誕生;父・観阿弥 ほか)
第2章 世阿弥の作品(能の作者;大和猿楽の伝統―劇的現在能 ほか)
第3章 世阿弥の芸論(世阿弥の伝書;『風姿花伝』 ほか)
第4章 世阿弥の流れ(晩年の世阿弥;能の流れ)

著者等紹介

北川忠彦[キタガワタダヒコ]
1927年、愛媛県松山市生まれ。1953年、京都大学文学部卒業。立命館大学助教授、京都女子大学教授、龍谷大学教授などを歴任。国文学者。専攻は能、狂言。1994年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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nishiyan

13
1972年7月に中公新書から刊行されたものを文庫化に際して舞台写真と写真資料を新たに差し替え、解説を加筆した世阿弥の評伝。現在の能の原型である猿楽の歴史を振り返ることから始まり、観阿弥、宮増、観世小次郎を軸に主流であった能と世阿弥が大成した「能」を比較検討し、いかに世阿弥が本流から外れた創作をしていたのかを明らかにした点は興味深い。大衆芸能であった世阿弥以前の能が大衆から離れ、伝統芸能へと脱皮したことで現在にもその芸は残っている。古い著作だが、こうした指摘があったことを忘れてはいけないだろう。良書。2020/02/02

ちあき120809

2
大衆の娯楽であった能を芸術の域にまで昇華させた世阿弥の功績と、その代償としての異端性故の孤独が対比的で心に残る。有名な言葉を一曲の眼目となるところに集中させるという演出は、なるほど能と歌物語との親和性を感じさせ、現在の映像作品の演出にも繋がるように思う。「中初・上中・下後」も、そして恐らく世阿弥が残した最も有名な言葉であろう「初心忘るべからず」も、何事においても、慣れが出て、ともすれば尊大な態度をとってしまいそうになった時、思い出したい言葉である。2020/02/22

全力背走

0
4/5 世阿弥が晩年不遇だったのは、彼の能が大衆演劇から遠ざかっていったからではないかと説明している。道を究めて後ろを振り返ったら続く者がいなかったという。能イコール世阿弥になるのは江戸時代に入ってからで、時代が追いつくのに200年を要したとも言えようか。2024/01/22

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