出版社内容情報
古今和歌集に「よみ人しらず」として収められた一首は、いかにして「国歌」となったのか? 「最後の国学者」による真摯な論考。「『君が代は』の歌に就いて種々の議論が行われ……民主主義に反するとか、元は恋の歌だとかいろいろ……かような軽薄な言論は苦々しい極み、根本に溯り、又下りて沿革を捜り、それらの調査を後来の参考に供する」(「序」より抜粋)
国粋主義を唱道していた山田孝雄は敗戦の10年後、日本の国歌とされた歌について、真摯な論考を物していた。種々史料を繙き、あくまで歌としての変遷を古代から今代までたどる。古今和歌集に「よみ人しらず」として収められた一首が、どう引用され、変形し、受け入れられたのか、そしてあの節がいつどこで乗り、「国歌」となるに至ったのか――元号が改まるいまこそ確かめたい。
(原本:宝文館出版、1956年)
山田 孝雄[ヤマダ ヨシオ]
著・文・その他
内容説明
始原は古今和歌集のよみ人しらずの一首まで溯る。爾来幾多の変遷を経て現在の形に定着するまで、文献を渉猟し、和歌としてのなりたちと、楽曲としての沿革をたどる。いかに伝えられ、利用され、国歌とされるに至ったのか。「君」とは誰を指すのか、あの旋律は誰がつけたのか―最後の国学者と評される著者が、終戦後十年を経て遺した珠玉の論考。
目次
初見
首句を「君が代」とした歌
首句が「君が代」となった時代
第二句を「千代に八千代を」としたもの
種々の形とその源委
この歌の本来の意味
この歌の古さ
「君が代」という語の意義
この歌は古来如何に取扱われたか
江戸時代に於ける「君が代」の歌
明治以後のこと
国家ということの始まり
「君が代」の曲の制定
「君が代」はいつ国家となったか
総括
著者等紹介
山田孝雄[ヤマダヨシオ]
1875‐1958年。国語学者、国文学者。独学の人として知られ、契沖、真淵、宣長以来の伝統に連なる最後の国学者と評される。東北帝国大学教授、皇學館大学学長を歴任し、貴族院議員を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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