講談社学術文庫<br> 語りかける身体―看護ケアの現象学

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講談社学術文庫
語りかける身体―看護ケアの現象学

  • 西村 ユミ【著】
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  • サイズ 文庫判/ページ数 288p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784065135303
  • NDC分類 492.9
  • Cコード C0110

出版社内容情報

「植物状態」は「意識障害」ではない――。自然科学が記述できない、人と人との関わりのうちにある〈何か〉を掬い出す、臨床の哲学。「植物状態患者」は自分自身や周囲の環境を認識できず、他者と関係することが不可能だと定義されている。しかし実際に彼らと接する看護師や医師の多くは、この定義では理解できない「患者の力」を目の当たりにする。自然科学は彼らを「意識障害」としか診断できない。そこで著者は現象学という哲学を使って、その〈何か〉を探究し始める。
植物状態患者のみならず、高齢者や認知症などのケア、日々のコミュニケーションにも通じる、「目で触れ、耳で見る」ような身体のあり方を描く一冊。

“長田弘という詩人にこんな言葉がある。「みえてはいるが誰れもみえていないものをみえるようにするのが、詩だ」。わたしはこれこそ現象学の定義だと考えてきたものだが、この定義は西村さんの現象学のなかでなによりも生かされているとおもう。……わたしが西村さんのお仕事に読み取ったもっともたいせつだとおもわれること、それはひとつの身体的な存在が別の身体的な存在のかたわらにあるときに、そこに生まれる身体のコモンセンス、いいかえると感覚相互の浸透しあいでありまた社会的な感覚でもあるようなコモンセンス、それを科学は引き裂いてきたのではないかという問いである。本書でしめされているのは、哲学と臨床とがひとりの人のなかで深く交差した、稀有な仕事だとおもう。”――鷲田清一(本書「解説」より)



「植物状態」は「意識障害」ではない――。人と人との関わりのうちにある〈何か〉を掬い出す、臨床の哲学。

[目次]
第一章 〈植物状態患者の世界〉への接近
 1 植物状態患者との出会い
 2 方法論的模索

第二章 看護経験の語り
 1 Tセンターでの経験
 2 受け持ち患者との関わりをふり返る
 3 経験のふり返りと気づき

第三章 〈身体〉を介して交流する看護ケア
 1 視線が絡む
 2 手の感触が残る
 3 タイミングが合う
 4 交流が成立する基盤

第四章 臨床のいとなみへのまなざし
 1 探究プロセスの振り返り
 2 看護研究における現象学的方法論の課題

解説 臨床のまなざし、現象学の思考――鷲田清一


西村 ユミ[ニシムラ ユミ]
著・文・その他

鷲田 清一[ワシダ キヨカズ]
解説

内容説明

「植物状態患者」は自分自身や周囲の環境を認識できず、他者と関係することが不可能だと定義されている。しかし実際に彼らと接する看護師や医師の多くは、この定義では理解できない「患者の力」を目の当たりにする。彼らを意識障害としか診断できない自然科学を越え出て、著者は現象学という手法で、その“何か”を探究し始める。

目次

第1章 “植物状態患者の世界”への接近(植物状態患者との出会い;方法を模索する)
第2章 看護経験の語り(Tセンターでの経験;受け持ち患者との関わりをふり返る ほか)
第3章 “身体”を介して交流する看護ケア(視線が絡む;手の感触が残る ほか)
第4章 臨床のいとなみへのまなざし(探究プロセスのふり返り;看護研究における現象学的方法論の課題)

著者等紹介

西村ユミ[ニシムラユミ]
首都大学東京健康福祉学部看護学科教授。看護師。日本赤十字看護大学卒業。神経内科病棟勤務などを経て、日本赤十字看護大学大学院看護学研究科博士後期課程修了(基礎看護学専攻)。現象学・身体論を手がかりに看護ケアを探究する。臨床実践の現象学会主宰(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

アキ

91
意識はことばによって規定されるとすれば、植物状態とは意識がない状態なのか?看護師である著者がとった方法は、現象学であった。それも植物状態の患者を受け持つ新卒のA看護師の経験を、彼女との対話を通して得た言葉から着想を得るという方法。言葉を発しない患者との疎通性を「視線が絡む」「手の感触が残る」「雰囲気をつかむ」という経験から出た言葉とし、メルロ=ポンティのいう「身体化された知性」を具現化することに至る。卒論を加筆して作成した本書も、読者と著者との対話で醸成された知を生み出す。これもまた現象学に他ならない。2021/05/06

chanvesa

33
「植物状態患者との意識的な層における交流が絶たれてなお患者に関わり続ける看護師に、前意識的な層を垣間見る機会が訪れ、この隠れた層へと導かれるのである。」(155頁)死んだ祖母は認知症で病院に収容されたが、元気な時とのギャップ大きく、見舞いにもほとんど行かなかった。今でも後悔している。祖母に世話になったというおばさんが頻繁に見舞いに来ていて、認知症ではないと言っていたことを思い出す。「『私』と他者である相手とが未分化な原初的地層における近く経験」(161頁)にコミュニケーションの本質的な何かがある気がする。2020/11/17

しゅん

19
客観的分析ではなく、主観的な体験として植物患者との関わりの本質を分析していく。メルロ・ポンティの現象学を頼りに、看護師Aさんが語った患者3名と共にした体験を本として読者に開いていく。3名それぞれで体験談が全く異なる。コミュニケーションが取れているという実感が、相手の大痙攣の後になくなった話が印象に残っている。主観でも客観でもないという言い方はもはやありふれたキャッチコピーとなってしまった感があるけど、本書は看護する身体と、看護について語る身体の差異が強調されているように思えて、そこに光るものを感じる。2023/11/30

ネムル

13
ここで描かれているのは植物状態の人間の看護だが、現象学的な志向性と時間軸は他者との向かい方に対して、色々と応用が出来そう。鷲田清一の著作など色々読み返したくなった。2019/04/17

shikashika555

9
打ちのめされながら読んだ。 かつて私は人をこんなに丁寧に見たことはあっただろうか。私のやってきた事とは、やっつけ仕事に過ぎなかったのか。 私自身 対人関係に課題を抱える人間であるから、模範的に開かれた交流というのは無理にしても、それなりに誠実に向き合う努力をし、勉強し、工夫をして人と関わってきた。でも本書で述べられている「関わり」とは そんなものとは数次元の隔たりがあるのだ。 人間 というものに向かう時の根本的な立ち位置や視座が全く違うのだ。 2019/01/12

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